心理カウンセリングって効果があるの?セラピストが悩みを解決する理由とは

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こんにちは。

催眠を心理学の知見によって解き明かす、

「催眠心理学」、

ベレッツアです。

さて、あなたは、日常の精神的な悩みを解決することができる「心理カウンセリング」をご存知でしょうか。

 

行っても効果がなかった、怪しいところだ、なんてイメージがあるかもしれませんが、それはカウンセリングの本質を知らず、技術もない「似非セラピスト」や「モンスターカウンセラー」がこの業界にはびこっているから

 

心理カウンセリングとは、日常の悩み、精神的な心の悩みを解決するカウンセリングです。

では、心理カウンセリングでなぜ、生きていく上での困難、苦しみ、悲しみ、不安、絶望、病気、障害、暴力、嫉妬、死と関わる症状が緩和されるのでしょうか?

 

一体、自分自身の努力だけでは解決できない問題を解きほぐす「心理カウンセリング」のメカニズムとはどんなものなのでしょうか。

心理カウンセリングが精神的な解決につながる理由に触れてみます。

 

 

心理カウンセリングとは

心理カウンセリングは、クライアント(依頼者)がセラピスト(カウンセラー)に相談をし、その悩みを聞いてカウンセリングを進めていきます

クライアントがその話をしているうちに、自分自身を見つめなおし、解決していくのです。

(詳しくはこちら >> 心理カウンセリングの方法 )

 

もっとも、話しをすれば誰でもよいわけではありません。

一番手軽に話せる相手はクライアントが自分自身に語り掛けることです。つまり、あなたが自分自身のカウンセラーになること。

 

ですが、それは大変難しい事ですよね。

自分に語るには、盲点になって気づかないところがどうしても出てきますし、また、自分に話すことになるので甘えが生まれるし、主観的な立場にハマってしまったりもします。

客観的立場から見ることが難しいのです。

 

熱くなる前に、一歩さがって考えてみてください。

そもそも、自分自身で最大限努力しても、どうにもならなかった問題です。

 

それを自分に語り掛けたからと言って、症状が回復するでしょうか。とてもそうは思えないですよね。

だからこそ、心理カウンセリングの存在意義があるのです。

 

 

O・アンナの症例

O・アンナという人をご存知でしょうか。

心理カウンセリングに触れたことのある人なら、もしかしたら、聞いたことがあるかもしれません。

 

O・アンナとは仮名なのですが、この症例はカウンセリングの基本中の基本となっている物語。

O・アンナという名前の彼女は神経症の席の発作を切っ掛けに、精神科医フロイトとの心理分析に関する共同研究者であるヨーゼフ・ブロイアーの元で治療を受け始めました。

(Jozef Breuer)

O・アンナの症例はフロイトとの共著、「ヒステリー研究」(1895)に記されています。

ヒステリーとはパニックになって暴れる、というようなイメージが強いですが、当時のヒステリーとはそうではありません。精神疾患、神経症一般のことをヒステリーと呼んでいました。

 

さて、アンナは21歳のユダヤ系女性で、多彩なヒステリー症状に悩んでいました。

彼女のヒステリー症状は、衰弱、頭痛、視覚障害、感覚喪失、麻痺、意識の途絶、幻覚、言語障害などです。

 

このうち、一つだけでも、大きな問題ですが、それを多数抱えていたことは想像を絶する労苦だと思います。

ブロイアーの診察の時には、彼女はよく、白昼夢の話をして、その話をした後は、落ち着きを取り戻したそうです。

 

そのうちの一つを紹介しましょう。

現在でも精神分析を学習しようとすると、必ずと言っていいほど紹介されているエピソードです。

 

アンナはコップから水を飲めないという症状も持っていました。

ブロイアーの催眠による、ある診察の時のことです。

 

アンナ自身が好きではない隣人(イギリス人の住み込みの話し相手女性なんですが)が飼っている大きな犬がコップから水を飲んでいたことを思い出しました。

その時のことを、激しい嫌悪感を込めてブロイアーに話しました。

 

そうするとその瞬間、彼女の「コップから水を飲めない」という症状が無くなりました。

信じられますか?それとも信じられないでしょうか。たったこれだけ、セラピストに自分の感情をこめてそのことを話すだけで回復したのです。

 

彼女はこの治療法を「おしゃべり療法」とか「談話療法」とか呼んでいたそうです。

さて、このことからブロイアーとフロイトは「心理的外傷」、「カタルシス」という精神分析初期においてとても重要な考え方を導き出しました。

 

つまり、人間は非常に不快、こころに収めるには余りに困難な事については、意識の中に留めておくことが難しいので、無意識の領域に追いやって、何とか日々を生き続けることになる。

ということです。

 

 

扱いの難しい事象

動物の中には危険が訪れた時に「偽死反射」(死んだふりをして危険が去るのを待つ)をする動物(タヌキやリス、モルモットなど)がいます。

また、小さな子供にとって都合の悪いことをその子供に言うと、うとうとと眠ってしまうこともあります。

 

大人でも、都合の悪い事、不快な事、心理的印象が悪い事が聞こえた時、聞こえないふりをしたり、全く別の話をしたりすることもあるのではないでしょうか。

これは必ずしも意識して行っているとは限らず、無意識に行っていることもあります。

 

人間も扱いの難しい、こころに収めるには難しい事象に出会うと、動物と同じように、「感覚遮断」「本能的な防衛による規制」が働くのです。

ここで話している、扱いの難しい事象とは、戦争などのどのような人間にとっても共通の事情であることもあれば、好きでない住み込みのイギリス人女性が飼っている大きな犬がコップから水を飲むのを見てしまったというようなO・アンナの症例ような個別の事情であることもあります。

 

自然災害や大きな事件、犯罪といったものももちろんその一つです。

 

 

扱いの難しい事象とは、心の中、意識に収めるのは難しく、大きな不安を呼び起こすものなので、見なかった、聞かなかった事にしてみたり、心の遠い倉庫、無意識というところにおいてしまう、心理的規制、防衛機制が働くことなります。

不安を呼び起こすような、このような扱いの難しい事象は、「心の傷」と考えられるので、フロイトは「心理的外傷」という言葉を使い始めました。

 

ここで、外傷とはドイツ語でTrauma(トラウマ)といいます。

現在の日本語では、多くの人が使っている言葉の一つですね。

 

アンナの例の戻ると、好きでない住み込みのイギリス人女性が飼っている大きな犬がコップから水を飲んでいるのを見たことが「心理的外傷」や「トラウマ」になったということですね。

 

先ほど出てきた「カタルシス」についてちょっと触れてみましょう。

好きでない住み込みのイギリス人女性が飼っている大きな犬がコップから水を飲んでいるのを見たことを非常に強い嫌悪感とともにブロイアーに話しました。

 

そうすると、コップから水を飲めないという症状が消えました。

つまり、心理的外傷(トラウマ)となった、扱いの難しい事情を感情を伴って話すことで、心理的外傷のところに滞っていた心理的エネルギーが解放されること、これが「カタルシス」です。

 

昔は、和訳の時に「浄化」と表現されていたこともありますが、現在はトラウマと同様に、「カタルシス」とそのまま使われています。

語源はギリシア語でkatharsis。アリストテレスの「詩学」の悲劇論の中に見られ、「悲劇が観客の心に怖れと憐みの感情を呼び起こすことで精神を浄化する効果」としています。

 

「カタルシス」って「語るとトラウマから解放されるシステム」を略したようで面白いですよね。

 

話しを元に戻しますが、事件や災害に遭遇した人たちに、その事件や災害を忘れさせてしまうのではなく、言葉や、絵といった非言語表現を使って、感情を伴って意識的に再体験してもらうことが大切になって来ます。

これは、とても難しい事であり、極めて慎重に行う必要があります。

 

下の動画は、悲惨な戦争体験をした人が、絵を描くことでトラウマに向き合ったというものです。

2時間ほどの動画ですが、再生から2分ほどがお伝えしたい部分です。

自分はお母さんのおかげで助かったわけですが、横にいた子供が焼け死ぬことを見ていただけでした。

これはとても大きな「扱いが難しい事象」でその川、その橋に近づけなかったということも理解できます。

 

しかしながら、この絵を描くことで当時の経験が感情を伴って再体験され、そのつらい営みを通ったからこそその時の現場の橋や川にいま一度行ってみる事が出来たのです。

ブロイアーの後、心理分析、精神分析学はドンドン発展していきますが、この心理的外傷、トラウマ、そしてカタルシスという発見は一般的に認知されるところとなりました。

 

精神分析というと、トラウマとカタルシスということだと誤解をされているところはちょっと残念ですけど。

心理的外傷が人間にとって大きな問題であること、これより広い意味を含む「扱いの難しい事象」というものを感情を伴って見つめていく作業こそがカウンセリングの本質の一つなのです。

 

クライアントがカウンセリングにおいて語る事の大切さの由来はここにあると言っても過言ではないでしょう。

アンナ自身が命名した「おしゃべり療法」「談話療法」こそ、カウンセリングや心理療法というものの本質の一つを見事に表現しています。

 

 

王様の耳はロバの耳

先ほど述べてきた関係は、神経症の治療においてブロイアーとフロイトが発見したものですが、人間のことに関しては多くの人が関心を抱いてさまざまなテーマで取り上げてきました

扱いの難しい事情、言葉にすることも次の話で見事に表現されています。

 

あなたは、王様の耳はロバの耳という話を聞いたことはありますか?

ギリシア神話に由来する話しですが、ちょっと復習しておきましょう。

 

芸術、音楽をつかさどる神アポロンが、上半身が人間、下半身が山羊の牧神パンと、音楽の技を競い合うこととなりました。

審判を引き受けたトモロスはすぐにアポロンに軍配を上げます。

 

ところが、牧神パンと親しかったミダス王はこれに反対します。

怒ったアポロンはミダス王の耳をロバの耳に変えてしまいます。

ミダス王はフリジア帽を被って耳を隠しますが、

散髪をする床屋だけには隠し切れません。で、ミダス王は床屋に

ミダス王
秘密を漏らすな、漏らしたら死刑だ!

といったのですね。

 

秘密を一人で抱えるのはあまりに大変だったので、地面に穴を掘って

床屋
王様の耳はロバの耳!

と大声で叫び、また埋めたのです。

 

地面に生えていた葦が「王様の耳はロバの耳」と囁き、町中の人の耳に届き、周知の事実となってしまうのです。

耳を隠すのが冠であったり、叫ぶところが井戸であったりと、

いろいろバージョンはありますが、大筋はこんなところです。

 

王様の秘密を抱え込んでしまった床屋が、この秘密を一人で抱え込むことがあまりにも大変で、ついに地面に穴を掘って、王様の耳はロバの耳と叫ぶところが興味深いところです。

王様の耳がロバの耳であることを見てしまったということは、床屋にとって「扱いの難しい事象に出会ってしまった」ということになります。

 

1人で抱え込むにはあまりにも大変な事情で、出来たら誰かに話さずにはいられない。

だけど王様には話すと死刑にすると脅されている。

 

そこで仕方なく、「告白」をし、大きな荷物を下ろすのです。

穴を掘ってそこに叫び土をかぶせて埋めてしまおうとしたわけです。

 

地下に埋める、水の中に沈めるというのは、臨床心理学や深層心理学的に見れば、とても象徴的なことで、無意識の中に沈めてしまう。と理解することもできます。

昔話や神話には、地下に埋められた、あるいは、水の中に沈められた、大切なものを取り戻すという物語が世界中にあり、心理学的に見れば無意識に沈められたものを、もう一度、意識の中に引き戻す作業と判断することができます。

 

これから見ると、床屋は穴を掘って叫びまた埋めることで「封印」しようと試みました。

アンナがブロイアー先生に話したように、床屋は地面に向かって話して、扱いの難しい事象から解放されようとしたのです。

 

この物語は大げさで単なる物語のように聞こえますが、私たちの日常でもよく見かけること。

扱いの難しい事象は自分一人の中に抱え込むということは大変な労苦を伴います。

 

だからこそ、友人や恋人、夫や妻にさまざまなことを語るのです。

この世の中を生きていくことは大変なことです。

 

生活の糧を得ることだけでも大変だし、考え方、感じ方の異なる人たちと何とか折り合いをつけることは、並大抵のことではありません。

家の中なら安心ともかぎらず、家族が苦悩の源泉であることも少なからずあるでしょう。

 

おまけに、日々考えられないような出来事と出会うのが人生です。

妻や、母親の立場にある人が「うん、うん。」と話しを聞いてもらえるだけでどんなに支えられるか、という話をよく聞きますし、中には、犬や猫といったペットに話しを聞いてもらうという人もいます。

 

人生の中には葛藤や扱いの難しい事象と出逢うのが避けられない、かといって、これらを自分一人で抱え込むのは至難の業です。

大変な事情や感情を自分の中だけに抱えてしまうと、神経症や心の病気になるということを発見したのが、ブロイアーやフロイト。

 

この辺りの事情を見事に表現したのが、「王様の耳はロバの耳」の話とも考えられます。

 

 

心の澱(こころのおり)

あなたは、澱という言葉を知っていますか?

澱の訓読みはよどむ。広辞苑によれば、「水底に沈んで溜まる。流れないで、滞る。よどむ。」と説明されています。

 

日々生きていれば、葛藤や扱いの難しい事情が避けられず、その中で、さまざまな感情と出会うでしょう。

その中でも、一般的に否定的と言われる感情不快、驚き、悲しみ、怒り、嫉妬、寂しさ、不安、絶望、痛みといった感情は一人で抱えたままで居続けると、それが、澱む、水底に沈んで溜まる、流れないで滞る、澱になります。

 

人生には澱がつきもの。

澱を抱えるのが人間。

澱こそがその人の味、深みだと言えるかもしれません。

 

ですが、この澱がヘドロのように堆積し、止まってしまう方もいます。血管にコレステロールが溜まったようなもの。

心の水の流れ、壁に溜まる澱のイメージが適当ですね。

 

扱いの難しい事情をペットに話すという人もいますが、澱のはけ口にされるペットも大変ですよね。

中には、ペットではなく、子供がこの聞き手の役を担うことがあります。

 

扱いの難しい事象の聞き手とされた子供は心身の調子を崩すことが多く、私たちのカウンセリングに訪れることも多々あります。

このような子供たちは、親のカウンセラー役、セラピスト役を引き受けているのです。引き受けさせられてしまった、といえるかもしれません。

 

このような子供たちは、「自分たちは親の愚痴のはけ口だ」、「親のごみ箱にさせられていた」ということがあります。

アンナとブロイアーとの関係のようにカウンセリングという枠の中で受けるのなら、意味のある営みになりますが、小さな子供たちが引き受けさせると、かわいそうな犠牲者になってしまうことがほとんどでしょう。

 

 

「語る」ことの効果

 

一つ目に語り手は、語り、聞き手に受け止めてもらうことで、過度の緊張や気負い、力の入った状況がほぐれ、鬱積したヘドロ、澱が少しづつほぐれ、水が流れ始めるといえます。

ヘドロの状態がひどい場合は、少しづつ、緩み、ほぐれ、ほどけるまでに、随分と時間がかかることがあります。ひどい場合は、十年以上もかかることも。

 

二つ目に臨床心理学的ではありますが、語ることを通して「意識化」というプロセスが進行するということ。

この語ることを通しての意識化というプロセスについて、少し例を挙げてみますね。

 

語る、言葉にするということは、それまで曖昧であったことを、言葉にして、整理していく面があります。

部屋の中が荒れていて混沌としている人がいますよね。どこに何があるのかわからなくなってしまいます。

 

未知の原初的エネルギーが満ち溢れている、とも言えますが、まだ人間化しておらず、分化しておらず、風通しが悪い。

埃もたまっているので、腐敗やカビが発生することもあるでしょう。

 

余りに、扱いの難しい事象にさらされたままになっていると、一体自分がどのような気持ちなのか、自分とその事情との間にはどのような関係があったのか、そんなこともすべて、混沌として曖昧なままになっています

語る、言葉にするということは、このような混沌を少しづつ整理していく、ということになります。

 

例えば、言葉にするということを通してクライアントが

クライアント
自分がこんなに嫌だと感じているとは思いませんでした。

と語られることもあります。

 

周囲から見れば、

周囲の人
いまさら、どうして?

ということでも当の本人は余りにも混沌としているので、「いやだ」と感じている事すら、見失っているのです。

 

つまり、語る事を通しての、意識化ということです。

また、

クライアント
どうでもいい、済んだことだと思ってましたが、お話ししてきたら、全然そうではなかった

と涙とともに言われることもあります。

 

言葉にしてみると、自分の気持ちがはっきりしてきますし、例え、それが激しい怒りや、悲しみ、寂しさ、嫉妬であったとしても、自分がどのような気持ちであるのかはっきりしてくると、不思議とある種の落ち着きが得られることになります。

クライアント
お話ししてきたら、自分ではもうやることにしているんだ、ということが分かりました

という人も多いです。

 

言葉にしないで、自分の中で、「ああだ」、「こうだ」、「ああでもない」、「こうでもない」と逡巡を重ねていたクライアントが、セラピストという他者に向かって話し、言葉にすることで、実はある方向へ決断が下っていたことを意識する。ということも起こりうるのです。

 

カウンセリングは基本的にアドバイスをするものではありません。

アドバイスを求めていたクライアント自身が、話していき、言葉にしていく中で、自分の気持ちや決断を意識していくことになるのです。

 

語る、言葉にするということは、不思議で深い意味がある営みなのです。

語ることは抱えている扱いの難しい事情と向き合うということでもあります。

 

扱いの難しい事情は向き合うことが大変だから、意識の周辺に、あるいは意識外・無意識に追いやられます

難しさが、非人間的、非日常的であればあるほど、強力に、何十年にもわたって追いやられる事になります。

 

語る、言葉にするということは、扱いの難しい事情に向き合うこと、見つめること、観ること、と言えます。

 

 

語ることの大切さ

ユングが一般向けに執筆した「人間と象徴」という本があります。

 

この中に記されている話を紹介します。

 

あるクライアントが毎年、ユングのところに訪れてきますが、しかし、話の内容は何と言うこともない話をしてばかり。

そうして、たわいもない話を続けるうちに10年の歳月がたちました。

 

その10年経った時、そのクライアントは、

クライアント
お話ししなければならないことを、やっと話すことができます。あなたがこの間、ずっと待っていて下さったので、今、お話しすることができます。

と語って、扱いの難しい事情を話しはじめたという話です。

 

扱いの難しい事情と向き合う、見つめる、言葉にする、には慎重な準備の時間が必要。

そして、聞き手との間に信頼関係が構築されることが必要なのです。

 

語ることは、扱いの難しい事情だけでなく、

  • 自分自身と向き合う、
  • 自分自身と見つめあう、
  • 自分自身と対話する、

事でもあります。

 

自分の事を見つめるのにも語ることが必要か?

と思われる方もいるかもしれません。

 

もちろん必ずしも語ることが必要なのではありません。

ですが、自分のことを見つめるのに自分だけでは難しいのです。

 

自分のことは、盲点になることが出てきますし、あなた自身には4つの側面がありますが、どうやっても気づけないあなたというものもあります。

 >> 催眠心理学でジョハリの窓を覗く )

 

そして、あなた自身が自分のカウンセラーになるには甘くなることもあります。避けてきた厳しいことに自分から首を突っ込むようなことはしないですよね。

自分とか、主観とかは他者とか、客観的な視点が入らないと、ちゃんと見る、はっきり見つめる、向き合うことができない、ところがあります。

 

中には自分のことを自分で見つめられるという人も例外的にいますが、ほとんどの人はそうではありません。

あのフロイトでさえ、自分自身を見つめるにあたって、友人のフリースという他者を必要としました。

 

ユングにしても、自分自身を見つめるのに、トニー・ウォルフという女性の助けを必要としています。

そして、ユングの提案を受けてフロイトの心理療法家、分析家になろうとする人たちは、自分自身が他者による分析が大切であると語っています。

 

つまり、自分自身を語る経験が必要だということ。自分のことを他者につたえるのは言葉が必要です。

そして、言葉にすることで、自分を見つめる、自分と向き合う事が可能になると言えるでしょう。

 

実は日本人は伝統的に不利な立場にあります。

日本人にとって、カウンセリングはとても新しい経験なのです。

 

「以心伝心」という言葉に表されているように、語らずとも、こころを持って心を伝えるという姿勢が尊ばれ、言葉を通さず、言葉によらない交流、コミュニケーションが重視されます。

「言葉では何とでもいえる」という感じ方も根深く残っています。

 

「問答無用」という言葉さえあります。

もちろん、以心伝心ということは実際に生じることですし、言葉だけでは伝えられないものもあります。

 

しかし、言葉による伝達を無くして、以心伝心だけを強調しすぎると、「誤解」を生み出す原因に。

 

また、日本の家庭や学校教育において自分の想いや気持ちを言葉にするという努力や伝統が非情に少ないという事実もあります。

家庭においてテレビやビデオ、ゲーム、パソコン学習などは、とても日常の中に取り入れられて多く行われています。

 

ですがそれらの電子機器によるコミュニケーションに対して、日常的に食事しながら、お茶を飲みながら、散歩をしながら、家族のそれぞれが自分の想いや気持ち、経験を語り、他の家族メンバーはそれに耳を傾けるという、人間として基本的な営みが少なくなってきているのではないでしょうか。

 

カウンセリングにおいて、

クライアント
いままでこんなに、自分のことを話したことはありませんでした。

と言われることは、セラピストとして話していただけたという喜びとともに、少々さみしい気持ちにもなる言葉です。

 

 

表現すること

語る、言葉にするということは、見つめること、向き合うこと、整理すること、意識化すること、であると同時に表現することでもあります。

言い方を変えると、表現することで、見つめること、向き合うこと、整理すること、意識化すること、が可能になるとも言えます。

 

残念ながら、「表現すること」も日本人にとって得意分野ではありません。

語る事に代表されるように、文化的に推奨されてきたとは言えないからです。

 

ただ、同じ言葉であっても、書き言葉であれば、日本人は優れたものを持っています。話し言葉よりもはるかに表現力があります。

講義や講演会においても、諸外国に比べ質問の数は格段に低いですが、自由に質問や印象を書いてくださいというと、多くの人はとても豊かな表現で書き綴ることができるようです。

 

書くことによる表現に対しては、文化的に重要視されていたことに加えて、他者とか、周囲の目を意識しないで済むということもあるようです。

フロイトが友人フリースに語ったと言いましたが、実は、フロイトはフリースと口頭で話したのではなく、ウイーンからベルリンに住むフリースに手紙を通して、「語った」のです。

 

「語る」ということは、必ずしも話し言葉によるものだけではありません。

実際クライアントが自ら書いた「詩」を持ってきて話をすることがありますし、俳句や短歌を持ってくる人もいます。

 

自分を表現するということであれば、話し言葉でなくてもいいのです。

そのような意味で、クライアントの詩、俳句、短歌、手紙などの書いたものも、非常に大切なものになるのです。

 

さらに言えば、ユングは、フロイト決別したのちの苦悩の時期に曼荼羅イメージをしばしば描いていました

言葉ではなく、描画、「絵」という形で自分を表現したのです。

 

また、ユングの自伝に紹介されていますが、チューリッヒの湖畔にあるボーリンゲンというところに家を建てました。

大工を雇ってではなく、自分で、レンガを積むところから始めたのです。

 

石の在り方を自分で学び、レンが積み職人の元で技術を習得し、その上でユングは自分で石を積んで家を建てたのです。

1923年に円形家屋として建てられて以来、ユング自身の心の変容を表現しながら、32年の歳月を経て1955年に完成しました。ユングはみずからの表現として家を作り続けたのです。

 

このように見てくると、自分を表現するのは、必ずしも話し言葉である必要はなく、手紙や詩歌のように書き言葉でもよいし、描画、絵や粘土、建築といったものでも可能なのです。

カウンセリングにおいて言葉によって表現し、意識化していくことは、非常に大切なこと。

 

ですが、カウンセリングの過程において絵をかいたり、詩や俳句、短歌を創作したり、写真をとったりすることもセラピストはそのクライアントの表現としてとても大切にします

箱庭療法というものを聞いたことはありますか?

 

ユングの元で学んでいた、カルフという人が創始したものですが、1955年川合隼雄という人がチューリッヒから日本に持ち込まれました。

それ以来、日本の盆景、箱庭という、砂、石、木々、ミニチュアの人形によって、みずからの世界を表現する日本の伝統とも重なり、日本のカウンセリングの現場、特に子供に対してのカウンセリングですが、よく利用されています。

 

 

おわりに

いかがでしたでしょうか。

カウンセリングの本質は、自分を表現することなのです。

 

カウンセリングにおいては、あなたの無意識の奥底に沈められ澱になったものを意識化することが大切です。

催眠は、無意識に直接アクセスし、クライアントみずからが「澱」を放出する方法です。

 

だから、効果がない、ってことはあり得ないことで、もし、そんなヒプノセラピー、催眠療法が行われたとするならば、セラピストの催眠についての技量不足か、セラピストがカウンセリングについての知識不足、技量不足でしょう。

だからこそ、素人の似非セラピスト、自己中心的なモンスターカウンセラーを排除しなければ、心理カウンセリングの評価を貶めるだけでなく、助けを求めながらこころをずたずたに引き裂かれる犠牲者が増えるばかりなのです。

 

あなたが、良いカウンセリングに出会えることを心から祈っています。

 

 ベレッツア 高橋

 

 

 

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