ジークムント・フロイトとは、オーストリア出身のユダヤ人の精神科医。
のちに精神分析学を作り上げるという心理学界の大きな発展に寄与した人物です。
なかでもジークムント・フロイトの大きな功績は、精神分析学だけでなく、臨床心理学の基礎となる無意識を発見したこと。
それでは、フロイトがどうやって、無意識を発見したのか見ていくことにしましょう。
ジークムント・フロイトの精神分析学
ジークムント・フロイトの精神分析学は、フロイトが患者の内面に耳を傾けることと夢を巡る自己分析、新たに見つけ出した無意識の世界を通し、人間の心理的な動きを科学的に解明しようとしたことにあります。
そのために、数々の臨床心理の症例を見ていくことで多くの経験を積んでいます。
そして、西洋医学の診察では、いたって健康なのに、痛みや苦痛を訴えるヒステリー患者と出会います。
そのことがフロイトに人の心を解明するきっかけを与えることになります。
フロイトの精神分析学とは、患者を寝椅子に座らせて自由連想法という手段を用いて患者の中に眠る心の状態を表出していく方法。
ヒプノセラピーにおける催眠状態でこころの内側をイメージ化してクライアント自身が気付いていくというのと同じように、クライアントが思ったことや感じたことを自由に何でもセラピストに対して語っていくという手法がフロイトの精神分析です。
フロイトの精神分析におけるポイントは二つ。
まずは、クライアントはセラピーを実施しているセッション中に思ったこと、感じたことなどをすべてセラピストに語ること。
そして次にクライアントはセラピストにすべてを語らなければいけない一方、語った願望、欲望を絶対に現実に実行しないこと。
心の中に秘めている欲望は自分の中で昇華し、乗り越えていくことが精神分析なのです。
だから、セラピストはクライアントがどんなことを表出したとしても受け止めていくことが必要。
人の命に危害を加えそうな時やクライアント自身を傷つけそうな時、PTSDの原因が一気に噴き出した時など、セラピストが熟練していなければ対応しきれないことも出てきます。
自分とは違う他人であるセラピストに語ることで自分の内面の世界を表出し整理していく過程が精神分析。
だから、精神分析を自分で行うとか、精神分析をひとりでするというのはあり得ないこと。
このような間違いは精神分析を心理状態を分析する心理テストと勘違いしているのかもしれません。
一人でするのは単に内観法であって、精神分析にはなりえないのです。
精神分析学でいうジークムント・フロイトの無意識とは
精神分析学でいう無意識とは、フロイトが人の心を考察し、また、夢の判断を通して自分の内面に真剣に向かい合った結果、行きついたもの。
フロイトは神経症患者たちの治療体験と喪失体験から始まった夢の分析による自己分析体験の二つの体験がフロイトを無意識の世界に誘ったのでした。
フロイトの最も斬新で大きな功績は、無意識を発見し無意識という概念に目を向けていったことです。
無意識とは人の心をめぐって意識の領域では説明することができない世界のこと。
フロイトの言う無意識とは抽象的なものではなく、また、静的なものでもなく、具体的でダイナミックな動きのあるもの。
心の中に湧き上がるものを意識に上らないように抑え込むというような葛藤的な動きのことを指します。この動きをフロイトは、心の力動という斬新で独自性のある観点からとらえました。
無意識の世界で起こっている心の動きは日常の言動、精神的な状態に大きな影響を与えているにもかかわらず、意識されないような心の過程です。
しかも、意識していない無意識のうちに生まれた心の力動は、意識しようとしてもなかなか気付くことができません。その上、本人以外の人がそれを気付かせようとしても簡単にはできません。
この意識に上ってこないように抑え込まれたものを意識することが難しい理由は、意識に上ってくると都合が悪いことだから。
自分の中にそのような気持ち、願望、想いがあることを自覚することはとても苦痛だからです。
だから、そんな気持ちを意識しないで済むように、そして、意識する自分を守るために抑圧というこころの防衛が働くようになる。
抑圧する力と抑圧されているものの力のぶつかり合いが葛藤であり、フロイトはこの葛藤を力動的な葛藤と呼びました。
抑圧の力が強ければ人は無意識に押し込めた自分にとって受け入れがたい気持ちに気付かずに済むのだから。
フロイトの「無意識の発見」は、このように抑圧するものと抑圧されるものとのぶつかり合い、そして、そこで生じる心の葛藤、力動的な葛藤に気付くことが出発点になっています。
心の防衛により意識に上がってこなければ、気付くこともなく受け入れがたい気持ちに悩まされることはありません。
ですが、無意識にある受け入れがたいものはなくなったわけではないのでその姿を現そうといつも意識の隙間を狙っています。
この無意識のうちに秘められた欲望や願望が表に出ようとして身体症状に結びつくようになるのがヒステリー患者の症状だとしました。
抑え込んだ欲望を抑圧し意識化しないがために漏れ出た欲望が身体症状を引き起こすのです。
ジークムント・フロイトが無意識を発見する過程
ジークムント・フロイトが無意識を発見するに至った症例を二つほど紹介しましょう。
その二つとは、エリザベートの臨床例と、ルーシーの症例。それでは、フロイトが精神科医としてクライアントを見た臨床例を見ていくことにしましょう。
エリザベートの症例
エリザベートは自分の愛する姉の夫である義理の兄に恋心を抱きます。
そして、無意識のうちに病弱だった自分の姉がもし死んだら…。という想いを抑圧していました。
そうしているうちに、本当に姉は病気で他界してしまいます。そうして、姉の遺体を前にして、義兄と二人きりになった時のこと。
あれほど好きだった姉が亡くなったにもかかわらず、自分の心の中に突然、「これでお兄さんと一緒になれるんだわ」という想いが一瞬ひらめきました。
それと同時にエリザベートは瞬間浮かんだその想いを抑圧して意識の外に追いやります。
すると、突然彼女の足はマヒし、激しい痛みのために歩くことができなくなってしまったのです。
エリザベートはフロイトの治療を受けるうちに、その瞬間にひらめいた「これでお兄さんと一緒になれる」という想いと最愛の姉の死を一瞬でも喜んだ自分の不道徳で邪悪なこころを表面化せさせていきます。
一旦抑圧した報われることのない恋心という願望を意識化し、さらに自分の言葉で語ることができるようになっていきました。そうすると、抑圧されていた願望や罪悪感の置き換えとなっていた足の痛みが消えていったのです。
エリザベートのその気付きを支え続けたフロイトの精神分析治療の基盤となる考えは、症状を起こしていたのは、エリザベート自身の道徳心の問題であるということ。
エリザベートの道徳心が全力で自分の中の正直な願望を認めることを妨げようとしていたのです。勇気を奮って、この心の現実を自分の罪として認めたから、足の痛みが消え自由に動かすことができたのです。
ルーシーの症例
ルーシーとは、30歳の独身の英国女性。ウイーンにある工場を運営している男性の娘の家庭教師として住み込みで働いていました。この工場主の妻は、何年か前にすでに他界していました。
ルーシーは子供に勉強を教えているうちにだんだんにその子供たちの父親、工場主に恋心を抱いてしまいます。
ところがそのような気持ちを強く抑圧して意識に上らないようにというこころの防衛が働いたころから、変なにおいに悩まされるようになりました。
その匂いというのは、焦げたプリンのような匂いと葉巻のようなにおいです。
そこでフロイトの治療を受けるのですが、その過程で少しづつ抑圧が緩んできます。
そして再びその男性に対する恋心を感じるようになるのです。さらにその恋が肩思いだったことを実感することになりました。
そして、その気持ちが自分の中にあることを受け止められるようになった時、変なにおいが無くなっていったのです。
その過程で焦げたプリンの匂いは、望郷の念に駆られていた心の状態とかかわりがあったことが次第にわかりました。
ウイーンの暮らしをあきらめて母国イギリスに帰ることを考えていた時に届いた母親の手紙を読もうとしたら、家庭教師をしている子供たちにその手紙取られてしまいます。
その手紙を取り返そうとバタバタしているうちに、その時ちょうど焼いていたプリンが焦げてしまった。その焦げたプリンの匂いは、その匂いだったのです。
そして葉巻の匂いは、その主人の言葉から自分の想いは片想いなのだ、と実感した時にかいだ主人が吸っていた葉巻の匂いでした。
変なにおいが気になるようになった初めの情景を思い出しながら、少しづつそれらにまつわる様々な気持ちを少しづつ感じられるようになったのです。
やがて治療の終結時にルーシーが治療者フロイトに語った言葉は大変興味深いもの。
ルーシーの語った言葉とは、「心の中で彼に恋していることは私の自由ですもののね。だからたとえかなわない恋だったとしても、気持ちとして自分の中に恋心を抱き続けることができるようになればいいのですね。」
このルーシーの言葉は、まさに抑圧せずに心の自由を得て葛藤から解放された実感を現しているものと言えるでしょう。
このルーシーの症例も、エリザベートの症例も、心の現象の不思議さを現しています。こうして意識に上ろうとする願望の力と、その願望を抑え込もうとする力との力と力のぶつかり合い、つまり力動的葛藤のありかたとして、あらゆる心の状態を理解することがフロイトのいう無意識の本当の意味が見えてくるはずです。
まとめ
以上、「ジークムント・フロイトの精神分析学の基礎となる無意識の発見とは」を神戸ヒプノセラピー、催眠療法ベレッツアがお伝えしました。
症例を通してわかることは、意識に上ろうとする願望の力とその願望を抑圧しておこうとする力の力動的葛藤の在り方として、あらゆる心の現象を理解することができれば、フロイトがいう、無意識という言葉の本当の意味に気付くことができ、ダイナミックな心の動きが見えてきます。
治療者としてのジークムント・フロイトが患者に期待していたのは受け入れがたい気持ちに気付き、抱えられるようになること。
心を広く大きく持って、どんなに苦痛で耐えがたい事でも無意識の領域に追いやってしまわず、抑圧せず、その苦痛に耐えることができる強い心を持つことがこころの変容であり、ジークムント・フロイトの精神分析としての心理療法が目指すところなのです。
(関連記事:精神分析学のジークムント・フロイト。精神分析・夢判断と催眠療法)
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