こんにちは。
神戸ヒプノセラピー、催眠療法のベレッツアです。
人は生まれ落ちた時から、死に向かって歩き出します。
そう考えると、死ぬために生きているように思えますが、本当に生きることとは死ぬために生きることなのでしょうか。
生きることにはいったいどのような意味があるのか。
もし、死ぬ意味について知ることができれば、生きる意味が見えてくるかもしれません。
生きることとは死ぬために生きることなのか
生きることと死ぬこと。
正反対のようで、実は人生という道の上に直線状にあるもの。
人は生命を受けて生まれ落ちた時から、死へのカウントダウンが始まっています。
そう考えると、生きることとは、死ぬために生きるているだけのように思えますが、本当にそうなのでしょうか。
死ぬために生きるとして考えていたのでは、命自体、無意味です。
それでは、人間やありとあらゆる生命や物体は存在している価値がなく、無くてもいいものなのでしょうか。
見えない空気や酸素もそこに存在し、あなたを含めた生き物全てが生命を維持し生きるために必要なもの。
空気のような命のない無機物でもその存在に意味がある。
それなのに、意志を持って考え、判断し、動けるあなたに存在する意味がない、なんてことがあるでしょうか。
もしかすると、あなたが存在するからには、なにか意味があるのではないか。
そう思いませんか?
あなたが存在することの意味、その答えは、生きることの意味と死ぬことの意味を深く考えていくと、見つけることができるかもしれません。
(関連記事:生きている意味が分からない。なぜ、仕事をして生きる必要があるのか)
生きることの意味と死ぬことの意味
生きることの意味と死ぬことの意味は、まったく違うようですが、実は、一直線上に位置するもの。
なぜなら生れ落ちた瞬間に、死へと向かうの道ができるのだから。
だから、両極端にあるものながら、生きることと死ぬことは、お互いに線で結ばれたもの。
あなたを含めて全てのものはこの関係から抜け出すことはできません。
だから、生きることを謳歌する人と生きることを放棄した人の人生は全く異なったものになるというのが一つのポイント。
全ての形あるものはいつか壊れるという言葉を知っていますか?
たとえばですが、スマホやカバン、食器や衣服など無機物でもいつかは壊れてその生命を全うします。
ですが、あなたのスマホや衣服がその形あるうちにあなたの横で存在し、あなたが使っていたという事実はなくならない。
その意味では、形が無くなったとしても、あなたの中では存在し続けます。
全てのものはあなたの記憶にある限り、未来永劫に存在し続けることができる。
また、こんな状況はどうでしょうか。
恋愛をした時、劇的な別れを経験すると印象に残りますよね。
恋人がいなくなった後もその存在感があなたの心を占めることがあるのではないでしょうか。
人が亡くなったあとも同じように、残された者の心の中で永遠に生き続けています。
こう考えると、生きることの意味と死ぬことの意味が少し見えてきた気がしませんか?
それでは、もう少し深く、生きることと死ぬことについて見ていくことにしましょう。
生きることの意味
生きることの意味とは、いったいどのような意味があるのでしょうか。
ここで大切なことは、あなたが望むと望まないにかかわらず、生きる上においては多くのものと関係を持つということ。
ご飯を食べるなら、米や野菜を作る人がいなければ無理ですし、電力会社で働く人がいなければスマホやパソコンすら使えません。
また、一切人と関係を断とうとして自給自足したとしても、ものとの関係は遮断することができません。
たとえば、あなたが普段使っているスマホ、あなたが今日着ている服、あなたが今住んでいる家を手放して生きることができるでしょうか。
少なくとも、生きていく以上食事をすることになりますが、自分で作った野菜や採ってきた魚や果物でもそれらの生命を頂いているのです。
このように、あなたは生命を維持するために生きているとしても周りへの関係を遮断することはできません。
反対に、あなたも多くの影響を与えています。
食事をすれば、食材の命をもらってご飯を食べることができているわけですし、今あなたがこの文字を読むためにパソコンや携帯を作った人、電気会社の人、多くの人があなたが生きることを支えているはず。
決してあなたは一人で生きているわけではなく、周りの存在に支えられた存在であるということ。
その意味では、あなたも社会に影響を与えて生きている。
働いている、いないに関わらず、また、社会に出ているか家で引きこもっているに関わらず、あなたが存在すること自体であなたは周りに影響を与えています。
少なくとも、あなたがこの記事を読んでくれていることで、この記事を書いてよかったと嬉しくなります。
あなたの評価がどうあれ、読んで頂けていることはとても嬉しいし、自分自身の人生の励みになる。
あなたが生きること。
そのあなたが生きることの意味は、周りの世界に影響を与え続けていくことなのです。
そして、その影響が大きければ大きいほど、あなたがその人から離れた後もその影響は残ります。
恋愛で大失恋した時のように、です。
さて、生きることの意味が周りとの関係において影響を与え合うことなら、死ぬことの意味とはどんな意味があるのでしょうか。
次に死ぬことの意味について見ていくことにしましょう。
(関連記事:生きるために働くのか、働くために生きるのか。目的のないおかしい世界)
死ぬことの意味
死ぬことの意味とはいったいどのようなものか。
その答えから言ってしまうと、死ぬことの意味とは新しい流れを創り出すためのステップです。
ジャンプするときには小さくかがまないと大きく跳ねることはできません。
また、明るさを知るには、暗さを知らなければ、今の明るさに気付くことができません。
死ぬことは生きるための通過点なのです。
このことは、ユングがその著書で錬金術書、賢者の薔薇園を使って紹介しているように、生のために死があるということ。
人が死ぬとその人への想いをワンパッケージにしてあの人はこんな人だったというイメージとして固定化します。
たとえば、大事にしていた愛犬が死んだとしましょう。
その犬にとっては命の終わりであり、人生の終わり。
天国に行っているのか、神様のもとへ行っているのか、あなたを守り続けているのか、それとも、意識すら存在しなくなっているのか、そのあたりはその犬に聞くしかありません。
ですが、あなたの記憶の中には、その愛犬が生きている時以上に、鮮明に残ることになります。
楽しかった思い出、しかりつけた思い出など、いろいろな思い出とともに、あなたの記憶の中でその愛犬は生き続けることができるのです。
だから、死ぬことの意味とは、あなたの記憶の中で生きることに変わるという新しい流れを創り出すステップ。
死ぬこととは、その人の人生に区切りをつけることでその人を抽象化し、イメージ化することができる作業であり、あなたの心の中で生きていくための通過点なのです。
(関連記事:なんか人生に疲れたと感じる40代へ!スピリチュアルで疲れた心を癒す意味とは)
コギトエルゴスムという考え方
コギトエルゴスムとは、cogito, ergo sumと書くラテン語で、我思う、故に我ありという意味です。
哲学者のデカルトが発した言葉で、一切のものを疑った結果、得た言葉と言われています。
自分以外の存在を疑うと、その意味、あり方、など一切のものの存在自体が疑わしくなります。
仮に全ての存在を疑うならば、あなたの周りのものすべてが嘘であり、自分の思っているものではななかった、その存在自体無かったとすることができます。
ですが、あなた自身の存在をいくら疑ってもあなたは存在し続けます。
自分はいま考えている。その考えが存在しているということは、あなた自身が存在しているということ。
もしも、手や足などの感覚が無くなり、あなたの体の存在すら疑わしくなったとしても、あなたの存在自体は疑いようのなく、存在しているものであるということ。
この考え方で行くと、生きることの意味とは、あなたが存在するための理由であり、死ぬことの意味もあなたがこれから存在していくためその相手の存在を吸収しながら生きていくということ。
生きることの意味と死ぬことの意味は、一見正反対の対極にある存在。
ですが、あなたが存在し続けるための通過点でステップとしてとらえると、生きることも死ぬことも実は同じ意味、ということです。
(関連記事:死ぬことと生きること。死にたいと願うあなたが想うたった一つの真実)
まとめ
以上、「生きることとは死ぬために生きること?生きる意味と死ぬ意味について」をお伝えしました。
この夏、人生の先輩であり15年来の友人だったSさんが人生を駆け抜けていきました。6人もの子供を男手1つで育て上げたり、死を目前に控えてなお旅行を楽しんだりと、全力で精力的に立ち向かった人生に幕を下ろしたSさん。
もうSさんの肉体に会うことはもうできません。
ですが、Sさんの姿や声、考え方や想いは今でも記憶の中に残っています。
だから、この世からいなくなった後でも意識の中で元気なSさんに会うことができる。話をすることもできる。
たとえ、命を失い、死んでしまったとしても、周りの人の記憶の中にある限りこの世の中で生き続けているのです。
(関連記事:生きるのが辛い。仕事で生きることに疲れた時のたった1つの対処法)
このように、記憶の中にある人に簡単に会える方法が催眠療法であり、ヒプノセラピーにあります。 なぜなら、催眠療法は自分の記憶の中を自由に旅することができる方法だから。 もしあなたが、もう一度会いたい人がいるならば、催眠療法を試してみませんか。 きっと、あなたにその人が大切なことを語りかけてくれるはずです。
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