こんばんは。
「できない」を「自分を信じる心」へ
必要とされる人への切符「催眠心理学」
催眠療法の高橋です。

さて、先日近所の小学校で運動会をやっていました。
教育機関であることと、最近の世間の風潮から、
「こうせずにはいられないのか」
と思うことが。
そんな日常の一コマでちょっとひっかかったことですが、心理学的に面白いことだったので紹介してみます。
運動会の場所取りに見る心理学
子供の運動会と言えば、
親にとっては、
という思いが多いのではないでしょうか。
かくいう私も、場所取りを頑張っていたのですが(笑)。
だいぶ場慣れしたようで、何時くらいに家を出ればいいか、どのあたりに場所を取ればいいかがわかるようになりましたが、最初のころは、行列に並んでました。

子どもがもっと小さくて幼稚園のころ、運動会では、場所取りのために開門2時間前の朝5時から並んで、できるだけ前の方に取ろうと、開門と同時に西宮恵比寿の年男競争みたいに全速力ダッシュでした。
ですが、小学校になると、土地柄のせいか、ならんでも、とる場所は後なんですね。
理由は、マットやいすは、邪魔になるからということと、そのほかにも理由があって、そのほかの理由とは、前のほうに敷いておいたら、いろんな人に踏まれるから。
それを知らない人は行列に並んで、前の方を取るのです。
ですが、例年あることなのですが、マットはみんなに踏まれてもみくちゃにされてしまいます。
楽しいはずの子供の運動会が、散々な一日になってしまうのです。
場所、土地柄によって、さまざまなんですね。
ここで注意したいのは、恒常性が働いてしまうこと。
自分の今までの経験から「運動会=行列に並ぶ」
という図式が出来上がり、環境が変わっても、その考えが変わりにくいのです。
一度根付いた信念や考え方は、なかなか変わらない、ということですね。
催眠の世界では、コンフォートゾーンから抜け出せない、事を指しています。
コンフォートゾーンとは、快適空間との直訳になりますが、今までの環境は居心地がいいんですね。
- 悪いと言っていても、変化に対する労力や気力を考えると、変化できない。
- 変えないと、と言うことで、満足してしまっている。
- 変えようとしてもすぐに壁が現れ、志が折れてしまう。
つまり、現状にとどまってしまうのです。
なぜなら、
- 変えなくても、生活はできる。
- 変化がなくても、自分は生きている。
- 変革が無くても、楽しみはある。
そんな風に無意識で考えてしまって、変化できないことを指します。
この現象をホメオスタシスという見方をしている人もいますが、ホメオスタシスは生理学の話しなので、ちょっとずれているかもしれません。
蛇足ですが、ホメオスタシスとはフランスの医師であり生理学者のクロード・ベルナールが提唱し、アメリカの生理学者ウォルター・ブラッドフォード・キャノンが古いギリシア語である「ホメオスタシス」(同一の状態)と名づけたものです。
このホメオスタシスとは、あなたの身体が、外界から刺激を受けても元に戻そうとする力。
体温を一定に保つ、血液の量・質を一定に保つ、微生物やウィルスを排除して健康を保つ、といった生体系の維持機能に関する言葉です。
生理学的に言うと間脳視床下部を司令塔に、自律神経系や内分泌系をコントロールする機能です。
なので、元の状況に戻ろうとするという言葉の意味は同じですが、良くなろうとしている肯定的な身体の復元力と、今まで通りでいいやというやや否定的な怠惰な態度であることには、若干の差があるでしょう。
さて、そんなコンフォートゾーンの話ですが、このコンフォートゾーンという快適空間があるおかげで人はなかなか、変わることできないんですね。
周りを見渡してみると、
との声がそのあたりでよく響いていませんか?
そんな意識を打ち破らないと、できるあなたにかわることができないのです。
そのためには無意識レベルに書き込まれたあなたにとって不要な情報「固定観念」を除去すること。
という人は、自力で頑張ってみるのも一つかもしれません。
克服できるなら、子供の運動会で違った環境になったとしても一日涼しい木陰で運動会を鑑賞できますが、潜在意識に刻み込まれた情報が残っていたら、熱い陽の下で、土と埃にまみれて、苛立つ運動会になるでしょう。
始まりの体操で感じた催眠的要素と暗示的文言

運動会って、始まりは、学生全体で行う体操が多いですよね。
みんな、同じ動き、同じ掛け声、同じ服装。統一感があふれています。
これは、催眠的には非常に興味深い現象ですね。
一体感が醸成されて、集中力が増し、反発者を除外する働きがあります。
つまり、軽い催眠状態、トランス状態に導かれているということ。
だから、そのあとで行われる校長先生の話が、面白くなくても、よく聞くようになります。
普通の朝礼の時より、運動会の時の方が、校長先生の話を聞くようになると同時に内容の是非を考えずに、無意識レベルに書き込んでしまう。
保護者としてみている側にも同じことが起こり、その状況を見ていることで、自分が参加している気分になり、催眠にかかります。
映画を見ている時、映画の中に入り込んで、主人公と自分の区別がつかなくなるのと同じです。
だから、催眠状態なのです。
テクニックと言えばそれまでですが。
そんな催眠状態にあなたがある時に、校長先生の話があったら、あなたの感情を司る潜在意識レベルに話が刷り込まれます。
となるわけですね。
徒競走(リレー)に見る催眠

次に、リレー競争が始まったので、他の学年ながら、ちょっと見ていました。
みんな頑張って走っていますね。
リレーなので中には、諦めて手を抜いている子もいますが。w
リレー競争、始まったら、何人かが応援を始めます。
先生から、
と言われているのかなと思いますが、恐らくまじめな子供なのでしょう。
とすると、何人かの親が大声で声援を始めます。
なんて感じです。
自分の子供だけでなく、知り合いの子の応援もしているのですね。
すると、他の子供たちが、
となります。
そんなうちにどんどん熱気に包まれ、みんなが興奮状態になっていく。
これも、一種の催眠状態、トランス状態ですね。
そこで、応援していた「赤」が勝つと、最高の歓声を上げる。
負けたら、ひどい落胆に陥る、
けどすぐに次の走者が走り始めるから、また、興奮が増強される。
これを何度も繰り返すと、興奮状態がより増していく、という方法は催眠の世界ではよくあるテクニックですよね。
これを見てもわかるように、最初は催眠状態にない人でも、
何度も催眠に出たり入ったりすることを繰り返させて催眠を深くするのです。
この興奮の拡大再生産は、第二次世界大戦時に戦争に行く人をみて、日の丸を振り、本気で応援する心境と同じです。
誰かが声を上げ、それに同調し、さらに、大きな声を上げれば、もっと大きい声が聞こえる。
いいか、悪いかではなく、集団心理とは、そういうものなのです。
運動会で応援している人は、こんな事を考えて応援してみてもいいかもしれませんね。w
昼ごはんでの催眠心理的会合

ほとんどの運動会では、昼ご飯は、お弁当ではないでしょうか。
普段は給食に頼り切っているはずの子供たちのお母さんは、いつもより腕によりをかけて作っています。
これは、
・子供により良いものを食べさせて昼からの鋭気を養わせてあげたい
っていうのが表面の気持ちでしょう。
だから、ちょっと少食だと、もっと食べろ、とつい言ってしまうのではないでしょうか。
ですが、ちょっと考えてみてください。
昼からも全力で運動しなければいけない子供に、おなか一杯食べさせることは、果たして、子供の英気を養うことになるんでしょうか。
むしろ、おなかが痛くなったり、眠気を催したりと、悪循環ではないでしょうか。
なので、ちょっとその場からフレームアウトして傍観者になってみると、見えてくるところがあります。
母親の気持ちとしては、
- 他の家族に、自分の弁当が見られるかもしれない。
- 義父や義母に何を言われるかわからないから、立派な弁当を。
- 子供が、友達にうちの弁当はすごかったよ~っていうのを期待している。
その他、豪華な昼ご飯にする理由はあるのです。
実は、子供のため、と言いながら、実は目が他のこと、自分のことに向いているのですね。
競い合うことが悪い事ではありません。
ですが、いろんな目的が折り重なっている時は、一番大事な物を見失わないようにしたいものです。
玉入れに見る恒常性

玉入れって運動会の定番。
たいてい下級生が頑張っやっているのが、玉入れではないでしょうか。
時々かごの足をやたら延ばした高校生の玉入れもありますが。w
そんな玉入れですが、投げて入れないといけないというルールはあるのでしょうか。
誰かを肩車して、その子に球を渡して入れてもらうということはだめなのでしょうか。
かごを倒して玉を入れるのは先生が保持しているからイッパイ入れられるけど結構難しそうです。
恐らく、そうしたら、先生は激怒するでしょう。
もしかりに、ルールとして決めていないなら、これも、恒常性ですね。
子供が知恵を働かせて、より玉を入れられる方法を考えて、実施したら、それを破壊することにもなりませんか?
本当の教育者はそうあるべきではないと思います。
自由な創造、自由な発想、自由な想像が、人類社会の発展を築いてきました。
このように、子供心に、「言われていないことはしてはいけない」という暗示が、刷り込まれたら?
純真無垢な子供の潜在意識が、「言われたことだけやればいい」という暗示を受け入れてしまったら?
考えるだけでも恐ろしいですよね。
教育は、社会生活に順応したロボットを作るという面も必要なことです。
人を傷つけない、輪を乱さない、コミュニティの中で生きる、そのためには、突出する事は、決して歓迎できることではありません。
ですが、そのような村意識でいる限り、コンフォートゾーンから抜け出せません。
一歩踏み出し、この世界をより良い世界に変革し、さらに良質の世界を創り出すためには、子供の自由な思想を阻害することは決して、世の中のためにはならないでしょう。
終わりのセレモニーで最終的な暗示を与える。

運動会の最後には、校長先生の話はつきものです。
先ほどの開会式のところでも話しましたが、
一日かけて高まった興奮は素晴らしい催眠へと導いてくれています。
買っても、負けても、興奮状態、催眠状態、トランス状態が続いているんですね。
催眠療法でも、後催眠暗示が絶大な効果を与えると言われています。
実際、私がかける時には、
と後催眠暗示をかけています。
解催眠した後も若干催眠状態が続いていることがあるので、不用意な発言は現に慎むことが必要ですね。
ちょっと話外れましたが、そのような、強力な後催眠暗示で与える校長先生の話。
赤白対抗戦で、優勝旗と準優勝旗が。
これでは、勝った側の効用度が少なく、負けた側の悔しさが半減されます。
ひどければ、負けたことに対して悔しくなくなり、負けることに対する免疫ができてしまう。
社会に出てから、負けることは何を意味するかというと、「社会的な死」。
このように、優劣をつけるなら、勝った側と負けた側の差を出すことが必要です。
それが、両者を伸ばすモチベーションとできるのです。
負けることの危険性を理解することを将来に先送りにする学校方針にはモンスターペアレンツに言われたくないという逃げしか感じられません。
本当に残念なことです。
勝つことと負けることの違いを知ること、
そして、
学校側が逃げずに立ち向かっている姿勢を見ること
現実社会と理想像、どちらが、子供の、潜在意識に深く刻まれるべき情報なのでしょうか。
終わりに

今回、運動会をやっているのを見て、催眠、心理学の観点から少しのぞいてみました。
学校教育は小さい子供の一生を左右するような大切な時間です。
古来より、学校は人を教育するためにあります。
それは、単に学問的な事だけでなく、人として、良い生活を得るため、良い人間になるため、良い人生を歩むため、教育を受けることが大事です。
道徳の時間が局限され、内容も今の学校教育の方針に即した方向性しか出せない今の教育では、本当に将来の日本が嘆かわしいです。
負けて心が折れるのは小さいうちに経験しておくべきこと。
大人になってから心が折れたら、人生そのものが折れてしまいます。
今の世の中、心の折れた人が大量再生産されているのは、こんなところに原因があるのかもしれません。
追伸
先日、私の師として仰いでいるコピーライターの西野さんのブログで、
「おかげさま」について話がありました。
細部はこちら→言葉が肉体を変えてしまう武術の証明
セールスコピーライターで、一見チャラそうに見えるし、
ちょっとふざけたところもありますが、心をより深く勉強している人です。
さて、そこで出てきた言葉が「おかげさま」でした。
おかげさまとは、神様の影に入って守ってもらっている状態のこと。らしいです。
と言って、殴られた時、とても痛いのですが、
と言えば、殴られても、痛さが局限されるのです。
これは、神様の影に入っていれば、自然と「おかげさま」と思える状態。
神様を信じないという人も多いですが、自分の心を強くするテクニックが、宗教の中には多く存在しています。
不要なところを学ぶ必要はないし、盲目的に神を信じろというわけではありませんが、目の前に素晴らしいものがあるのに、自分で捨て去るのはもったいなくないですか?
10月も始まったばかりの日曜日に多く実施される運動会。
学校も、会社も下半期が始まる時期ですね。
スタートが多く重なってるこの日を大切にして、あなたの素晴らしいスタートになる事を祈っています。
催眠療法「ベレッツア」高橋
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