臨死体験は死後の世界なのか?その具体的な実話からわかること

人は、必ず死にます。

その死に直面して、この現実世界に戻ってくると、そこで経験するということがあると言います。

 

その経験をする人、その経験を覚えている人は少なく、全体から見ると少数派であり、自分が見たわけではないのだから信じられないという人もいます。

その、「自分が実際に見たものしか信じられない」、という考え方もありますが、他人の経験を自分の知識に変えていくことで目が開けるということもまた一つの真理。

 

ヒプノセラピーの技法の一つに「前世療法」というものがあります。

どういうものか、簡単に言うと、前世とする人の死を通して得られる体験、その経験から自分にとって大切な気付きを得られる催眠体験、ヒプノセラピーが前世療法。

 

ここで気になるのが、前世の記憶。自分が体験してきたことではない前世の記憶が自分の中に残っているのかどうか、そこに疑問がある人もいます。

ですが、この前世の体験について、死を目の前にした時に見ることができる臨死体験というものを通して考えてみると、前世療法への理解ができるかもしれません。

 

臨死体験とは

臨死体験とは、死に臨んで得られる体験のこと。

英語では、Near Death Experienceとなります。

 

人は必ず死にますが、呼吸が止まり、心臓が停止して死を目の前にしても、なお、再び生を与えられ意識が戻る人がいます。

そんな人が息を吹き返した時に覚えていること。それが臨死体験。

参考:臨死体験(Wikipedia)

 

そもそも、一度死んだ人が生き返ることがありえないと思う人もいると思うのですが、それは違います。

呼吸停止、心肺停止しても、人工呼吸や心臓マッサージ、AEDによって息を吹き返した人かいることからも、肉体的に死んだとしてももう一度生き返ることができる、ということが起きるという事実は科学的に明らかですし、現実的にも起きていることです。

 

ただし、このように息を吹き返した人は必ず臨死体験を持ち帰ることができるというわけではなく、調査によると、全体の1割から2割程度しか臨死体験を覚えていないようです。

本当に一部の人にしか、臨死体験を経験したことが無いのです。そのようなわずかな人が得たという臨死体験とは具体的にどのようなものなのでしょうか。

 

臨死体験の具体的なパターン

臨死体験にはいくつかのパターンがあるようです。

その体験のパターンを分類ごと大きく分けると、3つにわけられ、それぞれ、「体外離脱」、「トンネル」、「光」となります。

 

まず「体外離脱」

体外離脱で経験されるのは、魂と身体が分離される状態。幽体離脱、とも同じ状態だと言えるのではないでしょうか。

 

次に「トンネル」体験。

トンネルのような状況であったり、道であったりしますが、色と光、匂いに包まれたその状態がつづく、回廊を通り抜ける体験があります。

 

そして、「光」の存在。

光のような存在も含み、今まで感じたことのない包み込まれたような保護された感覚を得ます。その光がすでに死亡した家族であったり、イエスキリスト、神などの宗教的な存在であったりすることもあります。

 

これらの体験を通じて得られることは、かつてない、今までとは比較にならないほどの深い愛情を感じられるため、自分の価値観が大きく変化するということ。

つまり光体験は、すべてを理解されて、受け入れられ、許されるという、完全な愛に包まれるということであり、光の体験が深ければ深いほど変化の程度も大きくなると言えるでしょう。

 

アメリカの整形外科医メアリー・ニールの臨死体験

ここで少し、臨死体験の一つを紹介しましょう。

今回お伝えするのは、現実主義のかたまりともいえる医者Mary.C.Neal医学博士の臨死体験です。

(出典:天国からの帰還

 

アメリカの整形外科医であるメアリー・ニールさんは、1999年、南米のチリでカヌーを楽しんでいる時に、滝つぼに落ちて、数多くの骨折と心肺停止状態により、瀕死の重傷を負いました。

滝つぼに落ちた時、上半身はフロントデッキに押し付けられ、骨折し、普通なら叫びだす状態だったと言えるでしょう。

 

ですが、彼女自身、平気でした。

なぜなら、その時、痛みも恐怖もなく、パニックもなく、かつてないほどの命を感じることができたから。

それは、その時すでに魂が肉体にとどまっておらず、身体から引きはがされ、天国に向かって解放されていたからなのです。

 

すると、すぐに人か霊かは分からない存在の数人の迎えが来ました。その時に迎えに来た人は、今までに出会ったことがありません。

ただ、彼女の人生に重要な影響を与えた人々、例えば、生まれてから会ったこともない祖父母でした。

 

彼らは大喜びをして彼女を迎え入れてくれます。

そして、無数の花が幾重にも咲き誇り、うっとりするほどの花の香りに満たされた道に案内されました。

 

そこは、宇宙のあらゆる色が爆発しているところ。

そして、時間と空間の感覚が今まで経験してきたものと全く違うところ。

永遠が一秒の中にあり、その一秒が永遠につながるところなのです。

 

そして、その道の先には、大きなドームがありました。

「そこが天国だと思う。いわゆる神の世界だ」

と理由もなく感じて、故郷に戻った感覚に満たされたそうです。

 

ただ、同時に後ろには川があり、彼女の身体は川底にありました。

滝つぼに落ちた彼女を助けようとして数人が近づいてきましたが救出することは無理だったようです。滝から墜落して15分ほどたった時には、あきらめて遺体回収に切り替えて捜索を続けていました。

 

そんな時、中のひとりが川の下流で彼女の救命道具を見つけました。

夫が欲しがるだろうと思って拾い上げようとしたその時、彼女の身体が彼の足に当たったので、水面下でその手首をつかんだのです。

 

溺れて川の中に浸かっていた身体は、もちろん水で膨れ上がって紫色になっており、瞳孔も動きませんでした。

紛れもなく、自分の肉体は死んでいたのです。

 

とはいえ、救い上げられた身体に心臓マッサージなどの蘇生術が施されました。

その自分自身が助けられようとしている様子を彼女はドームから眺めていたそうです。

 

そのとき、彼らの一人の声が彼女の元に届いてきました。

「戻ってこい!まだ近くにいるはずだ」

と。

 

ですが、彼女は、呼吸停止してから30分以上が経過していました。

無酸素状態が続いており、統計的な生存率は限りなく0%です。

 

その上、彼女自身、肉体には戻りたくなかった。なぜなら、ドームには物理的に引き止められてしまうような、心地よい感覚があり、そこにいることに不安を感じなかったから。

ただ、その時、「存在」に、”まだ来るな、やることが残っている”と、告げられ、彼女は戻るしかなかったそうです。

 

そして彼女は戻ってきた。

 

彼女の身体は、溺れているうえ、何本も骨折してさらに人体も損傷しており、とてもひどい状態。

そんな人が戻ってきたのだから、蘇生にあたっていた人たちはとても驚いたそうです。

 

 

臨死体験は生死の境を超える瀕死体験とは違う

臨死体験は肉体的に一度死んでいます。

呼吸が止まり、心臓が止まり、脳波が止まった人がその死んでいる間に経験する体験のこと。

 

つまり、「今夜が山ですね、」なんて感じで瀕死の状態から回復する人々が経験したことは臨死体験には当たりません。

死を目前にした時に、走馬灯のように自分の人生を振り返ったり、時の流れが急激の遅くなりすべてが止まったように時間が流れる経験は、臨死体験に入らないのです。

 

瀕死の状態というのは、まだ意識と肉体が結びつきが強いので、臨死体験しにくい状態ですが、健康な時よりもその結びつきが薄れています。

なので、瀕死の状態で肉体的にまだ死んでいなくても臨死体験をすることもあり得るでしょう。

 

臨死体験後に起きる変化

臨死体験をすると、それまでの価値観が一変します。

簡単に言うと、目の前の見えている現実を重視する世界観から見えない世界を受け入れられるようになるとされます。大きくは、生の先にある死を理解し受け入れることができるということでしょう。

 

自分の人生に落ちている、今までなら気にしなかったような事や他人の言動が見えて、生きているものに対しての意味を理解することができるようになる。

臨死体験をした人は、現実世界の人々にはその体験、気づきを理解してもらえないという悩みに直面しますが、見方を変えれば、ステージが変わった人を異質な存在としてしか見ることができない、見えるモノしか信じられない世界観の意識的な狭量さがその悩みを生み出しているともいえます。

 

自殺による臨死体験

自殺においても、臨死体験することが考えられるでしょう。

臨死体験は、暖かな光や偉大な声、大切な人との出会いなど、ポジティブな側面が多いですが、ネガティブな体験をすることもあるようです。

 

そのネガティブ体験の引き金となるのは、「自殺」

自殺による臨死体験は、多くのポジティブな体験ではなく、対外離脱した後非常にネガティブで地獄的ともいえる臨死体験をするといわれています。

 

アメリカの心理学者、ケネス・リング氏は、自殺による臨死体験では、「光の世界に入る」などの減少はほとんど見られず、体験は途中で切れたものになると述べました。

地獄的な体験がどのようなものであるかは一概に言えないかもしれませんが、もし、報告通り、自殺の先にあるものは、無限に何もない「無」、形も色も音も匂いも何もない、一秒が永遠と思える「永遠の無」の世界の中に閉じ込められることだとしたら、感覚遮断実験からも分かるように地獄以外の何物でもないでしょう。

 

ここで考えておかなければいけないことは、臨死体験を経験した人は、自殺をしようと考えることはまずありえないという事実。

それ以上に、自殺で臨死体験した人は、二度と自殺しようとしないという事実を受け止めておくことが大切なのかもしれません。

 

臨死体験と死後の世界

臨死体験をすると得られる体験は、向こうの世界、死後の世界を垣間見ている体験です。

肉体の存在すら忘れてしまい、向こうの世界に受け入れられ、現実世界とのつながりが完全に切れてしまうと、戻ってくることができなくなる。

 

臨死体験をした人は、一時的にその中をのぞいたか、その一歩手前で肉体へと引き戻されているので、完全に死後の世界へと足を踏み入れているのではない。

そう理解するならば、臨死体験はあくまでも死後の世界をすこしだけのぞいているだけであり、死後の世界に足を踏み入れているわけではありません。

 

臨死体験から死後の世界を理解するということは、テーマパークの入り口にたち、その入り口から見えるモノや聞こえてくる音楽、おいしそうともいえるステキな匂いなどからその中の様子を想像している状態。

その想像は間違っていないかもしれません。あなたは、それが正しい、臨死体験は死後の世界にいた経験、そう判断することができるでしょうか。

 

臨死体験と前世療法

臨死体験は死に臨んで得られる体験。

前世療法は、催眠状態の中で、死を挟んで成立している前世の記憶をたどり、今の悩みの原因を解明し、これからの人生を作り替えていく方法。

 

臨死体験をした人は、生まれ変わったように人生への価値観、生への世界観が変わります。

同じように死を挟んで理解する前世療法は、臨死体験を経験する営みにもつながるということ。

 

前世療法での前世について、疑問を持つ人は少なからず存在し、その前世が自分のものであると確信できるとした人は全体の20%ほどしかいません。

ほとんどの人が、自分のものかもしれないし、そうではないかもしれない、そう感じているのです。

 

ですが、前世療法で体験する前世が自分のものかそうでないか、本物か偽物か、そんなことはあなたが人生レベルでの気づきを得ることに全く関係はありません。

なぜなら、前世があるかどうかは問題ではなく、また、その前世が自分のものであるかが問題ではなく、死を通して得られる気付き、臨死体験を経験することが重要だからです。

 

まとめ

以上、「臨死体験は死後の世界なのか?その具体的な実話からわかること」についてお話してきました。

臨死体験は、共通する部分があるものの、人によって異なり、まったく同じ体験ではありません。

 

ただ、その伝えられた体験からわかることは、死に臨んでその近くに立つことで体験できることがあり、その体験は、生をより深く受け入れることができる体験であるということ。

前世療法で得られる前世体験は死を挟んで存在している記憶を呼び起こすこと。

 

その前世を体験することで、臨死体験と同じ世界観を味わうこともできるでしょう。

もし、この世の存在というものが作られたプログラムとするならば、そのプログラムのコードを実際に触れて体験する、ということができるのかもしれません。

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