何かと考え深い青年期。
大人になってから青年期はどうだったかと振り返ると、いろんな記憶が浮かんできます。
青年期とは、友人同士で一緒にバカ騒ぎしたパワーあふれる時代、少々無茶をしても体力的にも社会的にも許される時代。
そんな肯定的でエネルギッシュなイメージを青年期に持っている人は少なくないのではないでしょうか。
ですが、そんな青年期は子供と大人のはざまに位置する時期で、青年期には、精神的にそれまで生きてきた考え方を大きく変えていく、人生を揺るがすようなことが起こります。
だから、青年期に起こる心の問題、青年期だからこそ乗り越えなければいけない発達課題があり、それを乗り越えなければ、青年期が終わらないというような時期とはどのようなものなのでしょうか。
青年期とは
青年期とは、思春期のつぎに訪れてくる時期。
青年期の青いという言葉の意味は、まだ成熟していないという意味が含まれていて、まだまだ大人になり切っていないことを表しています。
大人になり切れていないけれど、すでに子供ではなくなっている状態。
子どもと大人の境界線にいるのが、青年期なのです。
だから、ドイツの心理学者レヴィンは青年期のことを、マージナルマンという言葉で定義しました。
マージナルとは、境界線上のことであり、マージナルマンとは、境界人、つまり、どちらでもありながらどちらでもない宙ぶらりんな人ということになります。
心が大きく揺れ動く時期でもあり、身体も子供の身体から大人の身体へと変化していく第二次性徴が現れる時期。
子どもから一気に大人になっていた昔はこんな余裕はなかった時代であり、その考える暇もなく大人になってしまった冷たい時代。
ロミオとジュリエットは、16歳と13歳。織田信長と濃姫の結婚は15歳と10歳。豊臣秀頼に至っては、10歳で7歳の千姫と結婚しているのです。
このように、古い時代は、子供からイニシエーションを経て一気に大人になっていました。
ですが、現代は20歳を超えてもまだ独り立ちせず学生である人も多く、子供と大人の境という時期が生まれたということ。
それが、青年期。そんな子供でもない大人でもないという中途半端な青年期であるがゆえに、青年期には複雑な心の問題も生まれてくるのです。
青年期の年齢区分
青年期の年齢区分は、心理学の世界だけでもいろいろな定義があります。
小学校高学年くらいから始まるという説や、中学生くらいから始まるという説など、諸説様々。
そして、おわりの時期はいつかというと、これまた明確ではありません。
概ね20歳前半が終わりの時期とされ、一般に社会に出る時期を青年期の終わりとみなす見解が多いものの、近年は、20代後半、30代と徐々に青年期の年齢区分が広がっているのです。
この理由は、青年という概念があいまいであることが原因。
青年期が大人になる前という時期であるからこそ、大人になり切れない人は、永遠に子供でも大人でもない青年期をさまよい続けることになるのでしょう。
青年期の終わりを告げる通過儀礼、イニシエーション
昔は、大人になるために、色々な儀式がありました。
成人式もそうなのですが、おおきくは、結婚もその一つでしょう。
他の地域では、大人と周りから認められるためにバンジージャンプをしたり、秘密の儀式を経て入れ墨を入れたりと大人と子供の区別が明確でした。
この大人になるため、大人と認めてもらうための儀式を通過儀礼、イニシエーションと呼ぶのですが、現在の日本においては、この儀式が形骸化してしまい、あまり重要視されなくなってきました。
成人式の終わりに成人とは思えない振る舞いをするのは、その最たるものではないでしょうか。
結婚式に対する意味付けも昔と今では大きく変わってきています。
結婚式がキリスト教であれ、神式であれ、昔は、神様に結婚を誓い、相手の家族、家に対して共に過ごしていくことを誓う儀式であったのが今は形がい化しているのではないでしょうか。
このように、イニシエーションの面から見ても、現代は青年期の終わりを告げることができない曖昧であやふやな時期になってきているのです。
青年期は思春期と異なる
心理学上、青年期は、思春期と異なります。
思春期とは、春を思う時期であり、この春とは、性的な意味が含まれます。
この状況は日本語だけでなく、英語でも見られることであり、思春期を英語でいうと、Puberty。
もともとラテン語のpubes(性毛)を語源としていて、第二次性徴があるからこその派生語となっているのでしょう。
思春期は、身体の変化が起こるとともに、こころも大きく変化していきます。
自分の身体が大人になっていくのと同時に、それまで感じたことがないような感情とか、想い、異性に対する気持ちの働きなどを感じることができるようになる時期が思春期。
これに対して青年期は、もう少し広い意味になります。
青年期は英語でadolescenceと言いますが、この語源もラテン語に由来しており、否定の意味のaと、alescereという成熟した状態という言葉から成り立ち、まだ成熟していない、未熟な状態にあるということになるのです。
つまり、青年期は、大人になり切れていない時期のこと。
地域の青年団や青年会議所など、40歳くらいの人も属している集団もあるというところを見ると、実際には、もっと広い意味もあるのかもしれません。
これには、青年という概念が大きくかかわってきています。
なぜなら、思春期の先にに在る青年期は、大人になることで終わりを告げるからなのです。
青年期の発達課題とは
さて、こんなあやふやな青年期ですが、心理学者のエリック・エリクソンは、人生を8つの時期に分けたのですが、そのうちの一つである青年期には乗り越えなければならない発達のために必要な課題があるとしました。
そのエリクソンが言う青年期の発達課題とは、「自我同一性の獲得」対「役割拡散」。「アイデンティティの獲得」と「アイデンティティ拡散」という言い方もされます。
自我同一性やアイデンティティとは、自分とは何か、ということ。このアイデンティティとは、ユングの言うペルソナを想像してもらってもいいかもしれません。
つまり、青年期は、自分が何者であり、自分はどこに向かっているのか、をひたすら探し求める時期。
坂本龍馬が日本の開国に向けて熱くなっていたように、青年期には、とてつもないエネルギーを抱えながら、その想いを吐き出す先を見つけていくことが必要なのです。
この青年期にアイデンティティを獲得するためには、同一化、英語では、identificationというものがキーワードになります。
この同一化とは、尊敬する人に近づきたい、あの人のようになりたいなどと、振る舞いや考えをまねていく「あこがれ」にも似た感情、想い、考えのこと。
青年期には、この同一化を原動力に自分が何者であるかを探し求めていくと、組織や団体、人に対する忠誠心や帰属感を得られると、エリクソンは言います。
反対に、青年期にアイデンティティを得られなければ、つまり、自分が何者であるのかを見つけられなければ、自分の役割が拡散してしまい、自分の進むべき道、自分の役割がわからないまま。
これをアイデンティティ拡散、役割拡散と呼び、青年期の発達課題を達成できない時におこることとされました。
現代のこころの悩みで、何のために生きているかわからない、生きていてもしょうがない、働くために生きているのか、そんな悩みが渦を巻いています。
つまり、今の世の中は、青年期がいつまでも続いており、青年期の発達課題を達成することがとても難しくなっていて、いつまでも青年期にいつづけやすくなっているということ。
若いうちは体力もあり、気力もみなぎっているので、このような大きな発達課題も乗り越えるパワーを持っているのですが、年を取ってくるとそうもいきません。
社会に出て、就職し、エネルギーを自分以外のところに向けなければならず、いつまでも自分が何者であるかがわからないまま生きていくこととなってしまうのではないでしょうか。
通過儀礼、イニシエーションが青年期の終わりをつげ、大人として見てもらえる、また、大人としてその組織、集団に属することを否応なしに求められるという、その役割を担えなくなったことも原因かもしれません。
青年期におけるモラトリアム
エリック・エリクソンの言葉に、「心理的モラトリアム」というものがあります。
この心理的モラトリアムとは、思春期や青年期における自分とは何かという独自性を持ったオリジナルな自分を作っていく時期のこと。
もともと、モラトリアムは経済用語であって、経済恐慌など緊急を要するときに、借金の返済を一定期間延長を国が認めることで、簡単に言うと、支払いを猶予するということ。
これが、大人になる時期を先送りにしていつまでも、思春期や青年期にとどまり続けていることをモラトリアムという言葉を借りてエリクソンが、心理学の世界に導入したのです。
青年期は、この心理的モラトリアムが働きやすい時期と言えるかもしれません。
このエリクソンの言うモラトリアムが日本で有名になったのは、心理学者の小此木啓吾という人が「モラトリアム時代の人間」(1978年出版)という本がきっかけ。
このモラトリアム人間とは、自分とは何かを見つけることなく、いつまでも幼児期の考え方に浸っている人間のことを指します。
いわゆる中二病のまま、身体と年齢だけが大人になっている人のこと。
エリクソンの心理的モラトリアムとは、大人になっていく時期を伸ばしている状態を示す時間的概念。
ですが、小此木啓吾のモラトリアム人間とは、自分が何者であるかわからない状態、つまり、アイデンティティ拡散状態にあることに居続けている状況を表しているといえるでしょう。
(関連記事:エリクソンのライフサイクル理論でのアイデンティティは心理学の基礎知識)
まとめ
以上、神戸ヒプノセラピー、催眠療法のベレッツアが「青年期の発達課題とは」をお伝えしました。
昔は、望む望まないにかかわらず、大人になることが一定の年齢で求められ、大人としての役割、自分の生きる道が決められていました。
家族のために食料を見つけてくること、結婚して家という組織を守るための役割、世襲制の仕事など大人としての役割が自然と決められていたので、自分が何者であるかなどと悩むことはなく、それが当たり前に進むべき道だったといえるでしょう。
今は、このように決められた道や、イニシエーションの役割が薄くなってきているで、青年期から脱出し、アイデンティティを獲得することが難しくなってきています。
ここに多くの人が、アイデンティティ、自分が何者であるかを見つけられないまま、ある意味、現状に妥協して生きているという原因があるのではないでしょうか。
もしかすると、まともに大人になっているように見える人でも、じつは、青年期の発達課題を達成できておらず、現状に妥協して生きているだけで一線を越えた時に、自分が何者かを見失い、人生の路頭に迷ってしまう危険性を持っているのかもしれません。
(関連記事:エリクソン,E.Hのライフサイクル理論とは!人生の8つの発達課題)
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