カール・グスタフ・ユングと分析心理学。無意識と元型の影に見る背景

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精神科医で精神分析学の祖であるジークムント・フロイトの下で無意識の世界を学んだカール・グスタフ・ユング。

ユングは分析心理学を生み出した精神科医であり、フロイトの後継者でもありました。そんな中、師匠ともいえるフロイトと決別し、ユング自身の求める分析心理学の道を探求します。

 

ユングが見つけ出した意識の世界に連なる個人的無意識と集合的無意識は、人の心に生きていく上での本音と建て前を創り出す。

これが、いわゆる、ペルソナだったり、シャドウとか、元型などといった概念に結びついていきます。

 

イメージの世界に浸り、自ら心に傷を負いながら生涯を歩き続けたカール・グスタフ・ユング。

その精神科医カール・グスタフ・ユングの作り上げた心の世界観、分析心理学を見ていくことにしましょう。

 

カール・グスタフ・ユング(Carl Gustavus Jung)とは

カールグ・スタフ・ユング(Carl Gustavus Jung)は、 スイスの精神科医であり、心理学者

ユング心理学とも呼ばれる分析心理学を生み出した心理学者とも呼ばれることがあります。

 

カール・グスタフ・ユングはスイスのトゥールガウ州ボーデン湖の近くにあるケスヴィルというところで生まれました。

親は、キリスト教プロテスタントの牧師であり、ドイツ系のスイス人です。

 

牧師の親を持つということもあるのですが、ユングは、現世的・社会的な能力に加えて、いわゆる異界、「もう一つの世界」「あちら側の世界」「死者や死後の世界」、「超現実的世界」への関心、傾向、素地がありました。

たとえば、母方の祖父は霊会との交信能力を持っている人物で書写委には、亡くなった最初の妻がいつでも訪れることができるように、専用のイスが置いてあったほどです。

 

さらにユングの母方の祖母も透視能力を持っていたとされています。ユングは、自らを著した「自伝」の中で自分の中には、「№1」の人格と「№2」の人格がそれぞれ存在していたと述べていますが、この二つの人格は、家系的・遺伝的な要素も少なくないでしょう。

ユングの言う「№1」の人格とは社会生活で世俗的な事象と関わる人格であり、「№2」の人格とは、「過去の人類の遺産や自然界」、「神の浸透する世界」、「本質の世界」、「夜と夢の世界」、「血なまぐさい世界」、「圧倒的で太古的かつ原始的なイメージに満ちた世界」と関わる人格のこと。

 

この二つの人格を持つ人間は、ユング自身だけでなく、ユングの母エミリエも同様にそのように見えたと自伝で語っています。

ユングが自らの母親を見る時、ある時は、無害で人間的な母親に見えるのですが、別の時には、神秘的で薄気味悪かったと述べているのです。

 

このように、ユングは、その家系の影響からか小さい時から自分の内面について観察することが良くあり、特に、善と悪、神と人間についての事物に関して心を寄せ、没頭していました。

学生時代はゲーテやカント、ニーチェなどの著作に感銘を受けているようで、のちの著作にもゲーテのファウストからの引用やニーチェのツァラトゥストラはかく語りきに触れていることも少なくありません。

 

カール・グスタフ・ユングは形式的な信仰に対して疑問があったことから、父親の職業である牧師を選ばず、祖父と同じバーゼル大学という名門校で医学を履修します。卒業の学位論文は霊媒現象を考察した「オカルト現象の真理と病理」であったとか。

その後の1900年にチューリッヒ大学精神科のブルクヘルツリ病院でオイゲン・ブロイラーの助手となり、現代では「統合失調症」と呼ばれる患者の心理的背景について臨床的な観点から考察し多くの論文を書きました。

 

1904年から1905年にかけてユングはブルクヘルツリ精神科病院で「言語連想実験」に携わり、その実験と精神科での臨床経験から人間の心の奥にある無意識には「感情に深くいるづけられた連想や記憶・イメージの集合」があることを見つけ、これを「コンプレックス」と名付けています。

そして、1905年にチューリッヒ大学精神科病院の講師になり、1909年には、アメリカのクラーク大学から講演のために招聘されています。

 

カール・グスタフ・ユングとジークムント・フロイトとの出会い

このクラーク大学への招へいを同じように受けたのが、ジークムント・フロイト。

ユングとフロイトは同じくブレーメンからアメリカへ向かい、その船の上でお互いの夢を分析するというまさしく夢のような時を過ごしています。

 

実は、カール・グスタフ・ユングは1900年に公刊されたフロイトの夢判断をすぐに読んでおり、ジークムント・フロイトなる精神科医をすでに知っていました。

1903年にフロイトの夢判断をふたたび読み直して自分と共通する考え方をフロイトは持っていると認識していたのです。

 

ユングは、1906年に自分の著書「診断学的連想研究」をフロイトに送っており、1913年までの間二人の間で手紙のやり取りが続いていました。

つまり、すでに二人のきずなは、アメリカ行きの船に乗る前から作り上げられていたのです。

 

ユングは生理学的な知識欲を満たしてくれる医学、歴史学的な知識欲を満たしてくれる考古学に興味を持ちます。

そして、仲間と活発に議論することで人間の心理と科学の接点にある心理学を志します。だからこそ、ヒステリー患者の治療と無意識について研究を進めていたフロイトとも意気投合することとなり、同じ道を一時期歩んでいたのでしょう。

 

ユング自伝という本がありますが、その冒頭部分で語られていることが無意識についてであり、「私の人生は無意識の自己実現の歴史である」と言っています。

さらに、無意識の中に横たわっているものは、すべて、実際の事実と異なることを欲しており、パーソナリティもその無意識的な諸条件から自らを展開しみずからを全体性として経験することを欲している。とあります。

 

続いて、このような精製過程を叙述するのに、私は科学の言葉を使うことはできない。なぜなら私は自分自身を科学的な問題としてとらえることができないから。

人が内的な観点から見るとどのような存在であるのか、そして、人間が永遠の層の下にどのような存在であると思われるのかということについては、私たちは「神話」を持ってしか描くことはできない。

 

「神話」は科学より、さらに個人的であり、人生をより詳細に表現することができる。

科学というものは平均的概念と関わるものであって、個々の人間の人生の主観的な多様性に対応するにはあまりにも一般的に過ぎるのである。と述べられているのです。

 

フロイトも、ユングも自分の神経症的、精神病的な状態に苦しんでいましたが、その状態との闘いそのものがそれぞれの心理学、「精神分析学」や「分析心理学」を生み出しているのです。

このことは、無意識の発見を書いたエレンベルガーがフロイトとユングの「創造の病」として触れてもいること。臨床心理的には困難を乗り越えることが生みの苦しみを乗り越えることであり、新しい自分を創り出す気付きになるということなのです。

 

フロイトの創造の病は友人フリースとの文通を通して自己分析をしていた時期であり、夢判断を出版するまでの時期。

ユングの創造の病はフロイトとの決別を経験した1912年から1919年に相当するといえるでしょう。フロイトの下、共に歩んでいたユングはフロイトの設立した国際精神分析協会の初代会長となり、フロイトの後継者としての存在から、フロイトの考えに沿わずに自分独自の道を選び取ったのです。

 

ユング自身、この時期のことを自伝で振り返り、フロイトとの決別は自分で選んだことながら、内的不確実感に襲われた方向喪失の状態にあったといっています。

それは、自伝の中にある無意識との対決という部分からも知ることができます。

 

そこでは、この時期にユングが体験した夢やビジョン、イマジネーションとの取り組みは自分を使った実験だといっています。

そしてこの時期の詳細な記録がのちに出版された「赤の書」です。

 

赤の書とは、この時期のユングが生々しいみずからの夢やイマジネーション、そしてそれらから生まれたイメージを意識的に把握することを試みた内容を書き留めた「黒の書」を伝統的装飾ドイツ文字で念入りに書き写して、ユング自ら描いたスケッチや描画、マンダラ画を加えたもの。

ユングの自伝とユングの死後50年経った2009年に出版された赤の書を見ればユングが生涯を通して追い求めていた心理学の基本的な視点のほぼすべてを俯瞰することができます。

 

ユングは、フロイトと別れた頃から、自分自身の無意識がとても活性化していること気付きながら、自分自身の神話を見出す途上にあるということを確信していました。

そうして、活性化し始めたユング自身の無意識の中に自分をゆだねることを決意したのです。

 

カール・グスタフ・ユングが受け止めた自らの無意識

1913年10月、一人旅をしていたユングは突然に、ある幻影にとらわれます。それは、ユング自身の無意識から出た幻影

ものすごい洪水が北海とアルプスの間にある北野低地の国々全てを覆ってしまうのを見ました。

 

洪水はイギリスからロシアまで、そして、北海沿岸からほとんどアルプスまで達しています。

洪水がスイスに到達しようとした時、アルプスの山々がまるでユングたちの国を守ろうとするように、より高くなっていくのを見ます。

 

恐ろしい破局が生まれ、巨大な黄色い大波、水に漂う文化施設の残骸、そして、無数の人々の死体を見たのです。

その次に海は血に変化しました。この幻影はおよそ一時間続き、フロイト自身混乱し、気分が悪くなり自分の弱さを恥じたのです。

 

この幻影を見た2週間後、ユングはまた同じ幻影にとらわれます。その2回目の幻影の海が地に変わっていく様はさらにひどいものでした。

ユングは、このビジョンが自分自身に関連するものだと考え、自分は精神病に犯されているのではないかと恐れることになります。

 

また、1914年の4月から6月にかけてユングは、同じ夢を3度見ることになります。

その夢とは、夏の真っただ中にもかかわらず北極の換気が襲ってきて大地を凍り付かせてしまうというもの。

 

ロートリンゲン一帯、その周辺の水路がすべて凍ってしまい、人の姿は全く見当たらず、湖や川がすべて凍りついたという夢。

この夢を見た直後の7月末、ユングは英国医学協会から「精神病理学における無意識の重要性」という演題の講演依頼を受けます。

 

こんなビジョンにとらわれている時に無意識の重要性について話さなければならなかったユングは、運命のようなものを感じています。

その直後の8月1日に第一次世界大戦がはじまり、ユングは自分自身の経験と集合性というものがどのように関わっているのかを理解しなければならないと感じます。そこから、自分自身についてさらに内観することに没頭し、個を超えた集合的なものの存在について研究することとなったのです。

 

カール・グスタフ・ユングの集合的無意識と個人的無意識

カール・グスタフ・ユングの言う個人的無意識とは、個人が経験してきた中で積み重ねられた知識や体験をもとにして刷り込まれた無意識のこと。

そして、集合的無意識とは、個人の経験関わらず人間共通、民族共通、国民共通、属する集団共通で持っている無意識のこと。例えば、きれいな花を見て美しいと感じたり、夜や暗闇が怖いとか、病気に対して恐怖を感じたりするような人間として共通の無意識です。

 

さて、そのような無意識を見つけ出した時のユングの心の動きを見てみることにしましょう。

ユング自身の心の中で無意識が活性化し始めた1913年に見た血の海というイメージに襲われる中で、自分の見た夢や幻影、イマジネーションをできるだけ書き留めました。

 

そしてその夢やイマジネーションの意味を理解しようと超人的な努力をしたのです。

ユングは精神科医だったので、無防備に無意識に身を任せてしまうことが無意識の空想の餌食になってしまう危険があり、その結果どうなるのかをよく知っていました。

 

だから、ユングは活性化してくる無意識にこころを任せ自ら<下>に下降しながらも、一方では自分を襲ってくる無意識のイメージを詳細に書き留めその意味を理解することに努力したのです。

活性化してくる無意識にとらわれてしまうことなく、何とか持ちこたえることはユングにとっての最大の問題であり、自らの人生を振り返って自伝をヤッフェに語った時もその興奮が続いていたようです。

 

この「無意識との対決」と名付けた章に対して、その想いが強く、詩人ホメロスが書いたオデュッセイアで記されている「死を免れることができた喜び」という言葉をモットーとすることを提案したことからも明らかでしょう。

このオデュッセイアの死を免れることができた喜びとは、10年かけて行われたトロイ戦争を生き延び、さらに10年かけて自分の国に生還することことができた喜びのことです。

 

さらにこの時期、ユングは日常的かつ社会的な昼間の仕事や課題と取り組み続けるという№1の人格を持ち続けることにも大切にしています。

このように、慎重に慎重を重ねたユングの体験した無意識との対決について、ユングは「自分自身に対して行った科学実験」としました。

 

そして、「その結末に生き生きとした関心を持っていた」と自伝で回想しています。

この時に示された言葉の主語は、自我・私であるのか、無意識であるのか、さらにはその両方であるのか明確ではなく、意味深長な言葉として残っているのです。

 

カール・グスタフ・ユングが見つけたペルソナと元型

カール・グスタフ・ユングの見つけたペルソナというものと、元型というものがあります。

ペルソナとは簡単に言うと「仮面」のことで無意識に秘められた自分自身に仮面をかぶせて日常的な社会生活を送っている姿のことであり、元型とはコンプレックスのことで仮面の内側に秘められたペルソナと相反する想いのこと。

 

少しわかりづらいかもしれないので、ユングの見た夢を通してその意味を見ていくことにしましょう。

1913年12月12日、ユングは机に向かって、再び自分の抱く不安や怖れを深く考え、その後<下降>することになります。

 

それは、まさしく、ユング自身の足下の床がガラガラと崩れ落ち、暗い暗闇へと引き込まれるような感じでした。

その時ユングはパニックに襲われます。

 

突然、そんなにも深くないところで柔らかな粘着質の土の塊のところに立つことができてとてもほっとしました。

ですが、まだまだ完全な暗闇の中。

 

少し経つと目が暗闇に慣れてきて、あたりが薄明かりに包まれて、少しづつ見えるようになります。

目の前には、暗い洞窟への入り口があり、そこには一人の小さな人が立っていました。

 

その小人は皮でできているように痩せており、まるでミイラのようです。彼の横を通って狭い入口へと進むと膝までの深さの氷のように冷たい水が張り詰めていました。

その冷たい水の中を洞窟の出口まで進むと、岩棚があってその上に赤く輝く水晶があります。

 

その水晶を手に取って持ち上げてみるとその下には空洞があります。はじめは何も見えませんでしたが、しばらくするおt、深いところを流れる水を見つけることができました。

その流れている水を見ているとある死体が流れ着いてきます。

 

頭に傷を負ったブロンドの髪の若者の死体で、一匹の黒い色をした巨大な黄金虫が彼の後に続きました。

注釈を加えますと、黄金虫とはコガネムシのことで、ここではスカラベと表記され、フンコロガシのことを指します。

 

フンコロガシは、古代エジプトにおいて分を転がして大きな玉を作ることからその習性を神聖なものととらえ、その球を太陽に見立てて太陽の運行をつかさどる神である、太陽神ケプリと同一視されていました。

太陽は、再生や復活の象徴でもあり、スカラベは聖なる甲虫として崇拝されており、スカラベをかたどった医師や印象まで存在しています。さて、話しを元に戻しましょう。

 

その暗い水の深みから太陽が浮かび上がります。新しく生まれた太陽は赤く光っていました。

太陽の光に目が眩んで水晶を再び開口部の上に置こうとしましたが、液体が押し寄せてきます。

 

その液体をよく見てみると、「血」でした。その血は濃く、ドンドンと噴き出してくるので気分が悪くなっていきます。

血の噴出は耐えがたいほどに長く続くように感じられたのですが、ようやく止まって、ユングの夢が終わりました。

 

ユングはこれが英雄・太陽神話であることは十分に理解しており、死と再生のドラマであることを知っています。

「再生」は古代エジプトの神聖なスカラベによって強調されており、イメージの最後には新たな一日が始まるはずでした。

 

ですが、現れたのは、耐えがたい血の噴出。しばらく前に見た血の海を思い出させるような夢であり、ユング自身でもこの夢のイメージを理解することはできませんでした

さらに6日後の1913年12月18日にユングは夢を見ます。

 

その夢は、ユングが茶色い皮膚の色をした一人の粗暴な見知らぬ男性と一緒に寂しい岩山にいた夢です。

日の出直前に東の空がすでに明るく星々が消えようとしている時、竜殺しの英雄ジークフリートの角笛が山を越えて響き渡ります。

 

そして、彼を殺害しなければならないことを知っていました。すでに銃で武装し、狭い岩の小道で彼を待ち伏せます。

太陽が昇っていく中、突然ジークフリートが山の稜線に現れました。死者の骨でできた車を駆ってすごいスピードで岩の斜面を走り下りてきたのです。

 

彼がある角を曲がろうとした時、彼を狙い引き金を引きました。

弾は彼に命中し、彼は倒れて、そのまま死んだのです。

 

この夢から覚めたユングは、夢の意味について考えますが、前と同じく理解することができませんでした。

そして、そのまま再び眠ろうとしたところ、声が聞こえてきます。

 

「お前は夢を理解しなければならない。しかも今すぐに!」「お前が夢を理解しないならば、お前は自分を撃たなければならない!」と聞こえてきたのです。

その時、ユングの枕もとのナイトテーブルには実弾が装てんされている銃が置いてあり不安を覚えたので、再び夢について考え始めました。

 

すると、不意に夢の意味が明らかになったのです。

この夢は、いま世界で起こっている問題。ジークフリートは第一次世界大戦勃発に向けてドイツ人が突き進むところ、実現しようと望んでいるところ、つまり、自分の意志を英雄的に押し通すことを示していました。

 

「意志のあるところに道あり!」と正義をかざして戦争に突入しようとしているドイツ人と同じようにユング自身がしようとしていることを理解します。つまり正義の仮面、正しいはずだというペルソナをかぶっていても、本当の自分の影を捨てることはできないということ。

夢は、ジークフリートという英雄によって象徴される姿勢がもはやユングには適切ではなく、「殺害」されなければならないことを示していたのです。

 

英雄ジークフリートとユング自身との同一化は終わらせるべきもの。

なぜならユング自身のもつ自我の意志より高次のものが存在しており、それに対しては、人は頭を下げないといけないものだから。

 

ユングの「無意識との対決」の時期はユングが37歳から44歳ころに当たります。

後年、ユング自身が人生の午後、あるいは、個性化の過程、自我と自己(セルフ)といった概念に結びつくもとになったのがこの無意識との対決なのです。

 

この夢の中に現れてきた茶色い肌の粗暴な見知らぬ若者とはユング自身の影、シャドウという元型であることも分かるのではないでしょうか。

この後、ユングはアニマイメージという様々な女性像とも遭遇していきます。

 

アニマやアニムスは影、シャドウという元型ともいえるものでペルソナの内側に秘められた無意識の中に眠るもの

ユングの№2の人格、神秘的で何となく恐ろしいものに当たるでしょう。

 

まとめ

以上、「カール・グスタフ・ユングと分析心理学。無意識と元型の影に見る背景」について神戸ヒプノセラピー、催眠療法のベレッツアがお伝えしました。

分析心理学という無意識の世界を探求するユングについてお話してきました。ユング心理学、分析心理学を学ぶのであれば、夢の中に現れる集合的無意識に通じる昔話や神話に眠る人間の本質について理解することが必要です。

 

ユングのいう集合的無意識も個人的無意識もあなたの中に眠る無意識であり、ペルソナという仮面をかぶったあなたもソウルというペルソナの内側にあるコンプレックスもあなた自身。

無意識の世界を旅するアクティブ・イマジネーションはユングが使った技法ですが、これをより実現可能で再現性を高めた方法がヒプノセラピーであるということは、無意識をベースにした心理療法であることからも理解できるのではないでしょうか。

(関連記事:精神分析学のジークムント・フロイト。精神分析・夢判断と催眠療法

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