こんにちは。
神戸ヒプノセラピー、催眠療法のベレッツアです。
最近のことですが、キリスト教プロテスタントの葬儀に参列してきました。
お坊さんの読み上げる読経ではなかなか泣ける状況になりませんが、キリスト教プロテスタントの葬儀で歌われる讃美歌や聖歌は泣けます。
それまでの故人の思い出とともに心が揺さぶられる音楽と歌詞の讃美歌や聖歌。
葬儀の場でなくても、この讃美歌や聖歌を思い出すだけで胸が熱くなってくるのです。
キリスト教プロテスタント
キリスト教とは、イエスキリストが救い主として生まれてそのイエスをキリストとして認めた宗教。
プロテスタントとは反抗するものという意味で、従来のカトリックに対してマルティン・ルターらが新しく作った宗派と言えるでしょう。
従来のユダヤ教は、律法にとらわれ、豚肉はダメ、安息日は守るといった規則の多い生活をしています。
本来、イエスが救世主として生まれ、キリストとなったので、食事制限や安息日などを拡大解釈してきたキリスト教ですが、ローマ教皇を中心として排他的で律法主義的な立場となりました。
そんな規則や制度に縛られた四角四面のカトリックに対してもっと柔軟に対応しようという解釈で生まれたのがキリスト教のプロテスタント。
だから、ユダヤ教やカトリックよりも庶民的で、キリスト・イエスが求めた博愛、貧しい者、虐げられた者、差別された者、身分の低いもののの宗教としてプロテスタントがカトリックから分かれたのです。
キリスト教プロテスタントの葬儀
同じキリスト教でも、プロテスタントとカトリックでは、葬儀のやり方が若干異なります。
その理由は、プロテスタントが聖書を絶対的なものとしているのに対し、カトリックはローマ教皇を頂点とした機関が形成されていること。
プロテスタントには、カトリックのような儀式も少なく、聖書の言葉によって送り出すことに重点が置かれます。
カトリックは、神の許しを得るために、聖体拝領や臨終の祈りなど秘跡という儀式を行いますが、プロテスタントにはありません。
カトリックには、葬儀の際に葬儀のミサという言葉の典礼と感謝の典礼が行われます。
ですが、プロテスタントには、形式ばったミサはありません。敢えて言うなら、告別式の後に関係者の食事会がある程度でしょう。
仏教に例えるなら、カトリックが小乗仏教、プロテスタントが大乗仏教といったところでしょうか。
どちらがいいとか悪いとかいうわけではありませんが、プロテスタントの考え方の方がより庶民的であるような気がします。
キリスト教プロテスタントの葬儀の式次第
キリスト教、プロテスタントの葬儀で行われる式次第はとてもシンプル。
カトリックで行われる「病人に対して行われる塗油の行為」や「聖体拝領」のような特別な秘跡と呼ばれる儀式は行いません。
カトリックと違う、プロテスタントの葬儀は、簡単に言うと、故人のことを偲ぶ会に近い式次第となります。
特別変わった儀式もありませんし、讃美歌も故人の選んだ曲が選定されます。
説教においても、故人の好きな聖書の部分を選んでみたり、故人にふさわしい聖書の聖句を選んだりします。
内容も、故人の生まれてから死ぬまでのプロフィールをエピソードを交えながら語るという宗教色の少ない説教となっています。
そんな庶民的なキリスト教プロテスタントの式次第。
今回参加したプロテスタント式告別式の式次第をざっと紹介してみます。
- 前奏
- 招詞
- 讃美歌
- 聖書朗読
- 祈祷
- 奉唱 Load is my shepherd
- 讃美歌
- 説教
- 祈祷
- 讃美歌
- 讃詠
- 祝祷
- 後奏
- 弔辞
- 弔電披露
- 遺族挨拶
- 献花
このような式次第です。
式次第を見ただけでも故人の思い出を偲ぶ会となっていることがわかりますよね。
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プロテスタントの式次第は故人への記憶を振り返ること
このように、プロテスタントでは、儀式や取り決めに縛られることはありません。
とにかく自由。
そんなキリスト教プロテスタントの葬儀の式次第は故人の記憶を振り返ることに終始します。
故人の愛唱歌だった讃美歌や聖歌、故人の思い出を振り返る説教、故人を振り返る弔辞。
故人を思い出すような葬儀であり、讃美歌だから、泣けるのでしょう。
聴いていてよくわからない儀式のような葬儀も一つですが、故人を偲びながら賛美歌を歌い、聴いて懐かしく思い出しながら送り出すから泣ける葬儀になるのでしょう。
形式張ることなく、ひたすら、故人を思い、偲び、天国へ送り出すことがプロテスタントの葬儀なのです。
そして、天国にて再び相まみえることができる。
だから、今は、一時的な別れであり、いずれ、同じ天国で再び会うことができるという考え方がプロテスタント。
そんな、葬儀だからこそ、一時的な別れ。
つらいけれど、乗り越えられる。
悲しいけれど慰められる。そんな葬式がキリスト教のプロテスタントなのです。
それでは、プロテスタントの葬儀で流れる讃美歌や、聖歌、聴きたくなりませんか?
そんなあなたに、おすすめのプロテスタントで流れる讃美歌や聖歌をお送りしましょう。
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キリスト教プロテスタントの葬儀で使う泣ける讃美歌や聖歌
キリスト教、プロテスタントの葬儀は、基本的に教会で行われるので、楽器は、パイプオルガン。
ピアノやバイオリンなど個人にちなむ楽器があれば使われることもありますが、会堂に備え付けのパイプオルガンを使うのが一般的です。
パイプオルガンの音は会場全体に響き渡ることから、その効果は絶大。
会場全体を揺さぶり、魂を揺り動かす音になるのは、通常の日曜日の礼拝でも体感できます。
そんな魂を揺さぶるような曲が葬儀における泣ける讃美歌や聖歌。
今回の葬儀であった曲を含め、プロテスタントの葬儀でかかる讃美歌や聖歌をお送りします。
讃美歌320番の主よみもとに近づかん
定番の讃美歌320番の主よみもとに近づかん。
葬送式にはこの曲が一番。歌詞を聞かずとも、泣けるような讃美歌です。
讃美歌405 神ともにいまして
別れるときには、神とともにいることで一切の心配から解き放たれます。
また、会う日まで、という言葉が、一時的な別れだとうことを印象付けているでしょう。
讃美歌312番慈しみ深き
この讃美歌は葬儀に関わらず歌われる曲ですが、人を送るときにも最高の讃美歌。
変わらぬこの世の我らを捨て去るときも祈りに答えていたわり給わん、って最高ですよね。
まとめ
以上「キリスト教プロテスタントの葬儀の式次第は讃美歌や聖句で故人を偲ぶ方法」についてお伝えしました。
プロテスタントの葬儀は、ユダヤ教やカトリックのように形式ばっていません。
その奥は、博愛主義という究極の献身なのですが、どちらかというと、庶民のための大乗仏教的な考え方。
貧しきものは幸いであるというイエス様の言葉がそれを証明しているのではないでしょうか。
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