こんにちは。
神戸ヒプノセラピー、催眠療法のベレッツアです。
さて、不安や悩みを取り去ることができる催眠療法の歴史は人間の歴史とともにその歩みを刻んできました。
そんな心理療法としての催眠療法は心理学の生みの親でもあるのです。
催眠療法は怪しいと思われながらも、その歴史は古代エジプトからつづく確かなもの。
そんな催眠療法、ヒプノセラピーの歴史を見ていきましょう。
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不安や悩みを取り去る催眠療法とは
不安や悩みを取り去ることができる催眠療法は、心理療法の一つ。
催眠療法を行っている病院があるところからでも、ちゃんとした心理療法であることは明らかです。
そんな催眠療法の歴史は古く、治癒や宗教的儀式を行うために3000年前から行われてきました。
催眠療法とは、催眠を利用して記憶が保存されている普段意識されていない無意識という領域に接触し、不安などの心の問題や悩みを改善していく心理療法。
催眠療法で、無意識と呼ばれる潜在意識につながると、暗示を受け入れやすくなったり、イメージを創り出しやすくなったりしてとても創造的な心理状態になります。
この催眠状態になるから、あなたの記憶をさかのぼり、子供の頃や前世からの因縁だと思っていることに触れて、心の問題の改善をしていくのです。
また、あなたの未来についてもイメージすることができることから、将来に向けての暗示やゴールのイメージなどを焼き付けることができるのです。
これが、あなたが望む未来を引き寄せることができる理由。
心理療法であり、カウンセリング技法であり、セラピーでもある催眠療法。
これが、催眠療法が古来より続いてきた理由なのです。
それでは、そんな催眠療法の歴史を振り返ってみましょう。
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催眠療法の歴史
催眠療法の歴史は古く、人間の歴史とともに発展してきました。
しっかりと記録に残っているものから、断片的なものまでいろいろとその事実を証明するものがあります。
近代以降の催眠については、科学的な分析や研究も取り入れられて、一気に催眠のメカニズムが解明されてきています。
そして、アメリカでは特殊な技術ではなく、一般的なテクニックとして、精神的治療の心理療法や外科手術などの実践的な医療現場、そして、司法分野、プロファイリングなどに応用されているのです。
以下、そんな催眠療法の歴史を見ていきましょう。
(関連記事:洗脳と催眠術と心理カウンセリングとヒプノセラピーを比較してみた)
古代(眠りの寺院)
催眠は、呪術師や祈祷師によって使われることが多くありました。
プラセボ効果のように暗示で実際に身体を癒すことも可能な催眠。
現代医療で使われているような高度な医療技術が無くても、思い込みを利用する「暗示」の技術で傷ついた身体を癒すことができるのです。
そんな古代のヒーリングで利用されたもので代表的なものが、古代エジプトにあった眠りの寺院。
この眠りの寺院は、奥の部屋に入るまでの通路で徐々に催眠状態に入るように作られていました。
そして奥に控えている祈祷師が暗示を与えて病を治す、というもの。
エジプトで発見されたパピルス紙に眠りの寺院の存在が書かれていたこともあり、ヒーリングのために催眠、トランスが利用されていたことが記録として残っています。
日本にもこの手法は活用されており、神社の本殿に向かう参道を通ったり、手水場で身体を清めたりすることで神聖な気持ちになり、奥の巫女や神主による祈祷を受けるというシステムと同じです。
古代(アスクレピオス神殿)
古代ギリシアにおいても眠りの寺院と同様の施設が存在しました。
それは、医療の神様アスクレピオスを祭る神殿。医学のシンボルとしてヘビが巻き付いている図柄のアスクレピオスの杖が有名ですよね。
アスクレピオス神殿は、古代ギリシア時代から古代ローマ時代において病の治癒を祈願する人が訪れる場所。
紀元前5世紀ころに初めて建てられたという説が一般的。
紀元前350年ころの遺跡からこの聖域を治癒のために訪れた人70名の氏名が刻まれた石板が見つかっています。
治癒を受ける人は前日にアバトンと呼ばれる場所に宿泊し、翌日祈願を行ってその後に、神官医師団の治療を受けたり、温泉などに行ったりしていました。
なかでも、アバトンで眠っている時の夢にアスクレピオスが現れ、目覚めた時にはすっかり治っていたという言い伝えも残っています。
神的な催眠と暗示による治療と、科学的な医学による治療が混在しており、自然治癒も推奨されていました。
スイスの医師パラケルスス
時代は一気に近代に向かいます。
1520年頃、現れたパラケルススという医師がいます。
パラケルススは科学者でもあり、錬金術師でもあって、神秘思想家でもありました。
当時主流だった4大元素説に反対し、鉱物の調合による医薬品の開発に力を注いだ人です。
自然哲学と医学を信奉し、フェラーラ大学医学部を卒業し博士号を得ましたが、大学の学問に失望して民間伝承から様々な事柄を学んでいます。
自然哲学の観点から、その後の動物磁気につながる磁気を使ったヒーリングを始めた最初の医者がパラケルスス。
そして、多くの患者がこの方法で病気が治ったとされています。
なでる人、バレンタイン・グレートレイクス
1660年頃、アイルランド人のバレンタイン・グレートレイクスという治癒者という肩書をもつ人が現れます。
彼は、元々、軍隊に所属していましたが、1656年の軍隊の代位部分が解散したことを受け除隊します。
その時に彼は、傷と潰瘍を治すことができると啓示を受けたとされています。
伝染病を治したり、痙攣、浮腫、などの病をふれて、なでることで治していったのです。
群衆は治療してもらえると言って、バレンタインに群がりました。
ただ、残念なことにバレンタイン・グレートレイクスはそれを実践するための資格や許可を持っていなかったのです。
そのため、異常な治療を行っているとされ、他の誰かに手を置くことを禁じられてしまいました。
ですが、バレンタイン・グレートレイクスの実績は1666年にオックスフォードで印刷されたパンフレットにバレンタイン・グレートレイクスの治療法の存在を証明する人たちの署名が多数掲載されたことで、彼の功績が見直されることになりました。
マクシミリアン・ヘル神父
マクシミリアン・ヘル神父はイエズス会の牧師。
1725年頃に磁石を使って治癒を行う者として世に現れてきました。
磁石を使った治療は、他でも行われていた治療法で、特に目立った功績はありません。
なぜ、催眠でマクシミリアン・ヘル神父が取り上げられるようになったのかというと、若い医師フランツ・アントン・メスメルの師匠であったからなのです。
動物磁気を生んだフランツ・アントン・メスメル
フランツ・アントン・メスメルは、元々ウイーンの医者。
ヘル神父から学んだ磁気ヒーリングを地元のウイーンに持ち帰りました。
その時に、流行っていた主流の治療法が流血療法という治療法。
患者の幹部を切り開いて悪い血を流させ、切開して血が流れている部分に磁気を当てて止血するという治療法です。
その流血療法を行った際に、本来あるはずの磁石がないにもかかわらず血が止まったのです。
そして、次にフランツ・アントン・メスメルはその辺の棒で止血できるかどうかを試してみたところ、見事に止血が成功しました。
磁石を使わずに行ったこのヒーリング方法が「動物磁気」と呼ばれる治療法で、その後メスメリズムと呼ばれるもの。
患者の血が止まったのは、磁気によって止血されるという患者の暗示と、医師の治療を受けているという催眠状態が折り重なった結果だと言えるでしょう。
その後ウィーンで成功を収めていきますが、マリア・テレジアという音楽家の治療に当時禁忌とされていたグラスハーモニカを使いました。
グラスハーモニカは人の気を狂わせ、死霊を呼び起こし、演奏する人と聴く人を死に至らせるものとして禁止されてたのですが、それを使ってマリア・テレジアを治療し、回復しなかったため、ウィーンを追放されました。
ウイーンを出た後のメスメルは、フランスで活躍し、上流階級の人達を相手に動物磁気による医療行為を行います。
しかし、この成功が同業者の反感を買ってしまってメスメルの動物磁気をイカサマだと指摘されました。
そして、当時の王様ルイ16世により諮問委員会が開催され、メスメリズムがイカサマかどうかを審議させたのです。
その委員会では、質量保存の法則を見つけた化学者のアントワーヌ・ラボアジエ、アメリカ合衆国建国の父ベンジャミン・フランクリン、処刑器具ギロチンの名前のもとになったジョゼフ・イニャス・ギロタンなどが審議しています。
実は、その諮問委員会で審議されたのは、動物磁気がイカサマかどうかではなく、メスメルが治療で使った流体が新しい物理的な流体なのかどうかが審議対象。
この流体は磁気により多く反応させる鉄を混ぜた調合物。見方によっては単なる鉄分入りの飲み物です。
そして、案の定、新しい流体ではないとの審議結果に基づき、メスメリズムが異端として公表され、フランスからもメスメルは追放されてしまうのです。
その後、フランツ・アントン・メスメルの経歴はやみ隠れているのですが、ウイーン、パリ、ドイツのメールスブルクと渡り歩き、異端視された動物磁気・メスメリズムを使い、地下世界で活躍していたとされています。
ピュイゼギュ―ル侯爵
ピュイゼギュ―ル侯爵は、メスメリズムを信奉するメスメリスト。
元々は、メスメルの弟子である弟のシャストネ伯爵から動物磁気を学び、ヴィクトル・ラースというピュイゼギュ―ル家に仕える農民にその動物磁気をかけます。
その時に、メスメルが言うような治療の効果は表れず、ラースは睡眠のような奇妙な行動をとったのです。
この状態は、奇妙な睡眠のような状態なのですが、普通の覚醒状態より意識が明晰で、動物磁気をかけたピュイゼギュ―ル侯爵の命じるままに行動し、術後には記憶がないという深い催眠状態。
この状態をソムナンバリズム、人工夢遊病と名付けたのです。
このソムナンバリズムは催眠状態とかトランス状態、変性意識状態と呼ばれるもの。
ジェームス・ブレイドが見つけたとされる「催眠」はじつは、其の50年以上も前に発見されていたのです。
ピュイゼギュ―ル侯爵はその後、彼の見つけた手法「ソムナンバリズム」による治療を続けます。
そして、動物磁気学の普及と育成のために盟友調和協会を設立し、多くの治療報告を提出しました。
宗教的で根拠のない時期的流体の存在によるアンダーグラウンドなメスメリズムではなく、この治療に必要なものは術者の強い意志だとして科学的な治療法としての証明を行っていたのです。
ピュイゼギュ―ル侯爵のこの活動により、催眠が心理療法、精神療法の先駆けとしての立場を確立していきます。
ピュイゼギュ―ル侯爵のことを「精神医学の歴史の偉大なる貢献者の一人」としてカナダの精神医学、心理学の歴史家アンリ・エレンベルガーが評しているのはこの功績によるものです。
ジェームズ・ブレイドは催眠の名付け親
1840年頃、ジェームズ・ブレイドというイギリス、ロンドンの医者がラ・フォンティーンというメスメリストの公演のうわさを聞きます。
ジェームズ・ブレイドはそのイカサマを暴くつもりで、その講演に参加しました。
ですが、イカサマを暴くどころか、その手かざしで催眠状態に入る様子に魅了されてしまいます。
この患者が一点に集中する様子を見て、ジェームズ・ブレイドはこの集中こそが催眠状態へ導く方法だとして、その状態を催眠と名付けました。
催眠とは英語でHYPNOSISといいますが、その語源は、眠るという意味のギリシア語HYPNOS。
眠りを神格化したHYPNOSを利用した言葉が催眠として定義されたのです。
手術の際に催眠で麻酔をかけたジェームズ・エスデイル
ジェームズ・エスデイルはインドの外科医。
催眠を麻酔として利用し、痛みを感じない手術を2000件以上も成功させたのが、ジェームズ・エスデイル医師です。
しかし、帰国後スコットランドでこれを実践しようとした時に多くの医者からの反発を受けます。
そして、イギリスの医学界から追放されそうになったのですが、クロロホルムの発見により催眠による痛みのコントロールの議論は消えたようです。
リエボーとベルネームのナンシースクール
アングロワズ・オーギュスト・リエボーは催眠の効力に目をつけたフランスの医者。
メスメルの動物磁気を知り、何度か催眠による治療を成功させています。
ここで、リエボーは、催眠を研究した結果、その催眠は心理的なものであるとして、磁気が治療するという考え方を一切切り離して催眠を使ったセラピー手法を確立します。
そして、ナンシー大学のヒポライト・ベルネームに催眠とその効果を理解してもらい、フランスのナンシーにナンシースクールを設立。
このナンシースクールでリエボーとベルネームは催眠とは心理的な作用であるとして、催眠の指導と実践を伝えていきます。
このナンシースクールでは、精神分析学で有名なジークムント・フロイトもリエボー、ベルネームとともに催眠を研究し、学んでいました。
ブロイアーとフロイトの違い
ヨーゼフ・ブロイアーとはウイーンの内科医。
催眠を患者の症状を緩和することに利用していました。
アンナ・Oの症例は臨床心理学の講義でもよく出てくる臨床心理の例。
コップから水を飲めなくなったアンナ・Oですが、過去に嫌いな人が犬にコップのまま水を飲ませていたという記憶をたどることができれば、元通り飲めるようになったというような症例が多く記載されています。
この話は、ブロイアーからフロイトに宛てられた手紙に書かれていた話。
ブロイアーはこのように、催眠を利用して治療を続けるのですが、フロイトはまた違う道をたどります。
元々ナンシースクールにも在籍していたフロイトは、催眠療法に関して得意ではなかったようです。
権威的な催眠が苦手だったとか、入れ歯が原因でうまく話せなかったとか、療法中に患者にいきなり抱き疲れてキスされたとか、いろんな話がありますが、催眠の効果を見ていながら利用しなかったのは、うまく使いこなせなかったからでしょう。
そんなフロイトは、独自の理論として、受容的な催眠である自由連想法を精神分析に用います。
この手法で、フロイトは精神分析の理論を確立していったのです。
フロイトが言った言葉に、「催眠的な影響は精神分析においてまた認められようとしている」「精神分析は、分析というう純金と暗示(催眠)という銅の二つの合金からなる」とあります。
催眠の効果と魅力を知っていたからの言葉といえるでしょう。
(関連記事:精神分析学の祖ジークムント・フロイトの出発点は催眠療法と夢判断)
ウィリアム・ジェームズ
アメリカの哲学者であり心理学者でもあるウィリアム・ジェームズはアメリカ初の心理学の講義を開始した、心理学の父と呼ばれる人物。
認知心理学の記憶の理論やトランスパーソナル心理学の宗教的経験の諸相にも続く今なお影響を及ぼし続けています。
知識が正しいかどうかは生活の実践において利益があるのかないのかという判断基準で決定されるというプラグマティズム、実用主義を発展させています。
ウィリアム・ジェームズの著書、「心理学原則」は、催眠療法家など臨床心理を手掛けている人に役立つ書物です。
天才的催眠術の魔術師、ミルトン・エリクソン
ミルトン・エリクソンはアメリカの精神科医で心理学者である最高の催眠療法家。
ミルトン・エリクソン独自の手法で、催眠誘導を行うことで知られ、彼の催眠誘導は「エリクソン催眠」といわれるほどの特別な方法。
これまでの権威的な催眠誘導とは一線を画する受容的催眠誘導で、相手のすべてを受け入れる手法。
普通の会話の延長線上で、いつの間にか催眠状態に入っていることになります。
特徴としては、全ての状況を催眠のリソースとして活用すること。
ユーティライゼーションのという利用できるものは何でも利用するという姿勢がその思想を物語っていると言えます。
その後作られた「エリクソン財団」が所長ジェフリー・ザイクによってエリクソン催眠が広められています。
アーネスト・ロッシとジェフリー・ザイクがエリクソン催眠について研究を重ね、エリクソン催眠という本を刊行しています。
(関連記事:ミルトン・エリクソンの心理療法は無意識に語りかける催眠療法)
権威的催眠誘導のジョージ・エスタブルック博士
ジョージ・エスタブルック博士(Dr.George Estabrooks)とは、アメリカの心理学者でハーバード大学卒、カナダのコルゲート大学で心理学の学長を務めています。
CIAやFBI、米軍における催眠術を行うことを公に認められている唯一のマインドコントールができる医師がジョージ・エスタブルック博士。
ジョージ・エスタブルックは、彼の催眠術の能力を表現する際に、その部屋に入ってきた米軍の高級幹部に対して、「私は、彼の知識も同意もなしに、アメリカに対する反逆罪を犯すように催眠術をかけることができる」と公言したほど。
スーパースパイと呼んでいる軍事的な運用として催眠術を使うことは、戦争の目的のためには極めて倫理的であると言っています。
その一つの症例として、第二次世界大戦でのジョーンズ中尉の例をあげています。
ジョージ・エスタブルックはジョーンズ中尉の中に共産主義を信奉する性格と忠実なアメリカ人でありながら意識的な段階ではそれについて何も言わないように封印していました。
エスタブルック博士は、忠実なアメリカ人としてのジョーンズ中尉と連絡を取るだけで共産党収容所につながるパイプラインを持っていたといいます。
ジョージ・エスタブルック博士は、人間の心の中には、二人以上の人格が宿っていると言います。
これが催眠術によって引き出されることで、治癒される可能性につながるのです。
ジキル博士とハイド氏の組み合わせは一度確立されると非常に現実的になると言います。
効果的なスパイや暗殺者を創り出すカギになるものは、催眠術の助けを借りて人の性格を分割したり、複数の性格を創り出すこと。
ケネディ大統領暗殺の年にジョージ・エスタブルック博士は、暗殺の実行犯リー・ハーベイ・オズワルドとそのオズワルドを暗殺したジャック・ルビーが催眠術を通して行動を起こしていた可能性があると言っています。
受容的催眠誘導を行うエリクソン催眠とは対照的な権威的なエスタブルック誘導。
このジョージ・エスタブルック博士の方法は、米軍で公認されている催眠技術であることも含め、多くの催眠を使うものの間で研究されている手法です。
アンドレ・ミュラー・ウェットゼンホッパー
アンドレ・ミュラー・ウェットゼンホッパーは催眠術関連で多くの書籍を残した研究者。
1949年から2004年の間に100冊以上の書籍を刊行しています。
前述したミルトン・エリクソンとは友人でもあり、時には、共同作業者でもありました。
ただ、ウェットゼンホッパーはミルトン・エリクソンをすべて許容していたわけではなく、意見の相違もあったようです。
アメリカ医学界で重宝されている催眠療法家、デーブ・エルマン
デーブ・エルマンはエリクソンやエスタブルックと並ぶ催眠術の権威者。
催眠を使った痛みの制御であるペインコントロールや出産の苦痛を和らげる催眠出産、年齢退行の技術はデーブ・エルマンの功績なしには、発展しなかったでしょう。
アメリカの医学界で20世紀に入って問題になったのが手術時の麻酔量をコントロールできなかったが故の死亡率の増大。
ここから、麻酔の量を減らすために催眠を利用しようという動きが出たのです。
ステージで興行師として催眠術師の父を持つデーブ・エルマンは、人を一瞬にして催眠状態に引き入れる術を持っていました。
デーブ・エルマンの即効誘導は、権威的誘導法と許容的催眠誘導との混合物で、どのような患者に対しても簡単に、短時間で催眠状態に入る手法。
心理学や医学の学位はありませんでしたが、アメリカ医学界や歯学会に対する貢献が認められました。
そして、いまでは常識になるくらいまで、デーブ・エルマンの催眠誘導がアメリカの医療現場で利用されています。
デーブ・エルマンが1984年に書いた「催眠療法」という本があります。
その「催眠療法」という本は、世界中の催眠を利用する人の愛読書になっています。
レスリー・ルクロン
催眠術の導入時に用いられる指を使った観念運動は、レスリー・ルクロンによって広められました。
この方法で、潜在意識のレベルであなたが持っている答えを引き出すことができるのです。
ペンジュラムを使った方法もこのうちの一つ。
この方法で学生のテスト成績が上がったという話なので、今後の試験で使えば、無意識レベルに刻まれた答えがふっと浮かび上がるかもしれません。
A.M.クラズナー
A.M.クラズナー博士は、米国催眠療法協会(ABH)の設立者。
ヒプノセラピーを世界的に広まったのは、クラズナー博士の功績といっても過言ではありません。
A.M.クラズナー博士の催眠療法の手法は、全米で用いられています。
Wizard Within(邦題:クラズナー博士のあなたにもできるヒプノセラピー)という本は、催眠療法家なら一度読む価値がある書籍です。
前世療法の創始者ブライアン・ワイス博士
ブライアン・ワイス博士は前世療法で有名な精神科の医者です。
前世療法は、年齢退行や胎児期退行よりもさらに時間軸を戻す手法で、心理療法としてとても有効だという報告が多数あります。
前世の存在や前世の記憶というものに様々な議論があるのですが、もし仮に、前世というものがあったとすれば、こんな前世だったのではないかというイメージ療法が前世療法。
必ずしも前世があるという前提や前世の記憶であるという確信は必要ではないのです。
スピリチュアルな側面の強い前世療法ですが、その原点は、あなたの深層心理である無意識の中に蓄えられている記憶。
その記憶に対して行う心理療法が前世療法という催眠療法の手法なのです。
NLPのタイムラインセラピー®開発者、タッド・ジェームズ
NLP(神経言語プログラミング)という手法が、1970年の初めにリチャード・バンドラーとジョン・グリンダ―によって非侵襲的な心理療法として開発されました。
その後、タッド・ジェームズ、ジュディス・ディスロージャー、ロバート・ディルツ、コニレイ・アンドレアス、スティーブ・アンドレアスによって、さまざまな分野に広まっていったNLP。
その中でも、タッド・ジェームスは、タイムラインセラピー®という手法を開発しています。
このタイムラインセラピー®とは催眠状態に入らずに、時間軸を行き来する手法であり、催眠状態と退行催眠の知識が重要な理解深めます。
催眠状態に入らないとは言うものの、その裏にあるのはイメージを利用するものであり、セラピスト側が催眠のことを知らなければ、単にマニュアルをなぞるだけになってしまい、効果は半減。
これは、開発者のタッド・ジェームズがヒプノセラピストであったことを見ても理解できるでしょう。
日本における催眠療法
日本における催眠療法は明治初期に入ってきたメスメリズムが大きい変革点でしょう。
当時、「霊気」と呼ばれたもので、「手かざし」につながるもの。
現代の「レイキヒーリング」にその痕跡を見ることができます。
(関連記事:死生観とは何なのか。日本人の死生観の歴史とその真実の意味とは)
催眠療法は心理学の生みの親である理由
催眠療法は、メスメリズムで、異端視されながらも、その効果の存在は信じ続けられました。
そして、メスメリズムはアンダーグラウンドの世界でも生き続け、ジェームズ・ブレイドが、催眠という言葉で、異端的なイメージを払しょくさせたのです。
心理学の祖は、ヴィルヘルム・ヴントといわれていますが、かれの功績は、学術的な部分のみに特化しています。
うって変わって、ヴントの前に活躍した心理学の父と呼ばれるウィリアム・ジェームズは、学術的な要素を重視しながらも、それまでの催眠に関連する心理的要素ににも言及しています。
心理学の流れは、突発的に出てきたものではなく、動物磁気によるメスメリズムを源流としており、ヴントはそれを批判した心理学者で大学に心理学実験室を創った学者に過ぎないと言えるでしょう。
フロイトがナンシースクール出身であるのも良い例です。
歴史をひも解くと催眠療法という心理療法が心理学の基礎となっていることは明らか。
最新の心理療法、認知行動療法がマインドフルネス認知療法という第三世代に移り変わってきたことを見ても学術的な部分と催眠療法のような臨床心理との融合が求められています。
歴史的な流れと、最新の臨床心理学の動向が、催眠療法が心理学の生みの親ということを証明しているのです。
(関連記事:最古参「ヒプノセラピー(催眠療法)」と最先端「認知行動療法」の共通点とは)
まとめ
以上、「催眠療法の歴史。不安や悩みを取り去る催眠療法は心理学の生みの親」をお伝えしました。
催眠療法は、超常現象などのように、非科学的なものとしてとらえられることがあります。
ですが、心理療法の一つとして数えられる技術であり、何千年も続いてきたセラピー手法。
心理学は、学術的なもので終わるのではなく、医学や、脳科学、情報工学などの理化学、工学的な理系分野と、臨床心理的な分野、言語学、社会学、経済学、従来の統計的、実験的な心理学の分野など、現存するの分野学問を融合するべき複合的な学問が心理学なのです。
(関連記事:ヒプノセラピー ~催眠療法のススメ~ あなたの脳と心に働きかける最強の心理カウンセリングとは)
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