モーセの十戒の意味とは。真実をねじ曲げられた聖書の言葉の力

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こんにちは。

神戸ヒプノセラピー、催眠療法のベレッツアです。

 

モーセの十戒というものを聞いたことはありますか?

聖書の中で、神様がモーセの前に姿を現して伝えたといわれる10の戒律、10の言葉です。

 

この十戒には日本語訳として、日本聖書協会が訳している聖書の言葉と昔の英語の聖書の言葉とは少し意味、とらえ方が違うのですが、あなたはそれを知っていますか?

日本語に訳するときに、真実をねじ曲げられた聖書の言葉、その言葉の力は、日本人が聖書に触れる時の障害になっているといえるかもしれません。

 

日本版モーセの十戒とは

モーセの十戒とは、旧約聖書の出エジプト記/ 20章の2節から17節までの記述です。

本当は、本文を記載したいのですが、日本聖書協会のHP上で聖書には著作権があって、日本聖書協会が訳した聖書を引用してはいけないと明記されています。

 

このような聖書を経済活動の道具とすることは、祈りの場を経済活動の場としていた祭司長を代表するサドカイ派の人々に対するイエス様の怒りを買いそうな話(ルカによる福音書19章45~48節)。

ですがそれはそれとして、本文を転記するのを控え、十戒を要約すると、次のようになるでしょう。

モーゼの十戒

  1. あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。
  2. あなたはいかなる像も造ってはならない。
  3. あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
  4. 安息日を心に留め、これを聖別せよ。
  5. あなたの父母を敬え。
  6. 殺してはならない。
  7. 姦淫してはならない。
  8. 盗んではならない。
  9. 隣人に関して偽証してはならない。
  10. 隣人のものを一切欲してはならない。

 

原文は、日本聖書協会「新共同訳 旧約聖書」出エジプト記20章2節~17節に記載されています。

この十戒はモーセが約束の地を目指してエジプトを出た後、シナイ山の山頂で神様から示された言葉

 

この文面を見ると、とても、高圧的でキリスト教が伝えている愛の神という存在からかけ離れた言葉に感じることも多いでしょう。

ですが、この十戒に秘められた本当の言葉の意味、その言葉の力は、別のところにあるともいえるのです。

 

それは、英語版(欽定訳聖書)でのモーセの十戒を見てみるとよくわかります。

それでは、次の英語版でのモーセの十戒を見てみてください。

 

英語でのモーセの十戒とは

早速英語でのモーセの十戒を見てみます。

次のモーセの十戒は、King James Version(1611年刊行の欽定訳聖書)の原文です。

God’s Law, the Ten Commandments, is expressed in Exodus 20:2-17 (KJV) with the following:

“I am the Lord thy God, which have brought thee out of the land of Egypt, out of the house of bondage.

1. Thou shalt have no other gods before me.

2. Thou shalt not make unto thee any graven image, or any likeness of any thing that is in heaven above, or that is in the earth beneath, or that is in the water under the earth. Thou shalt not bow down thyself to them, nor serve them: for I the Lord thy God am a jealous God, visiting the iniquity of the fathers upon the children unto the third and fourth generation of them that hate me; And shewing mercy unto thousands of them that love me, and keep my commandments.

3. Thou shalt not take the name of the Lord thy God in vain; for the Lord will not hold him guiltless that taketh his name in vain.

4. Remember the sabbath day, to keep it holy. Six days shalt thou labour, and do all thy work: But the seventh day is the sabbath of the Lord thy God: in it thou shalt not do any work, thou, nor thy son, nor thy daughter, thy manservant, nor thy maidservant, nor thy cattle, nor thy stranger that is within thy gates: For in six days the Lord made heaven and earth, the sea, and all that in them is, and rested the seventh day: wherefore the Lord blessed the sabbath day, and hallowed it.

5. Honour thy father and thy mother: that thy days may be long upon the land which the Lord thy God giveth thee.

6. Thou shalt not kill.

7. Thou shalt not commit adultery.

8. Thou shalt not steal.

9. Thou shalt not bear false witness against thy neighbour.

10. Thou shalt not covet thy neighbour’s house, thou shalt not covet thy neighbour’s wife, nor his manservant, nor his maidservant, nor his ox, nor his ass, nor any thing that is thy neighbor’s.”

出典:Bibleinfo(ten-commandments)

 

これを分かりやすくいうと、

Ten Commandments list

  1. You shall have no other gods before Me.
  2. You shall make no idols.
  3. You shall not take the name of the Lord your God in vain.
  4. Keep the Sabbath day holy.
  5. Honor your father and your mother.
  6. You shall not murder.
  7. You shall not commit adultery.
  8. You shall not steal.
  9. You shall not bear false witness against your neighbor.
  10. You shall not covet.

 

となるわけです。で、このshall(=shalt)という言葉の意味が重要になって来ます。

英語版でのモーセの十戒は、do notという明確な命令形ではありません。

 

中学生の時にならった英語を思い出してほしいのですが、shallとは、~でしょう。とか~だろう。とかいう意味ですよね。

shallの意味は、「疑いようもなくこうなる」、「きっとこうなるはずだ」ということ。~すべきであるというのはshouldです。

 

モーセの十戒の本当の意味とは

助動詞shallのコアイメージは人知を超えた神の領域でのこうなるはずというものです。

ということは、十戒の本当の意味はどうなるのか。

 

十戒の本当の意味

  1. あなたは私の他に神としないと思うよ。
  2. あなたはきっと偶像を作らないだろう
  3. あなたは無駄に神の名前を使わないはずだよね
  4. 安息日は聖なるものとしてね
  5. 父親と母親を光栄に思うよね
  6. 殺人なんてしないはずだよね
  7. あなたは、姦通することにコミットしないだろう
  8. あなたはきっと盗みをしないはず。
  9. あなたは偽ることをしないはずだよね
  10. あなたは貪ることをきっとしないと思うよ

 

というような意味合いになります。

高圧的で命令的なもののようにとらえられることが多い十戒ですが、それは現在の日本語版の聖書がそう書いてあるから。

 

400年前に刊行された英語版の欽定訳聖書での十戒は、もっと愛にあふれる神さまの姿が現れていたのです。

原文の聖書も、欽定訳聖書の表現だったといいますので、神の愛があふれる表現が、真実の神の言葉なのではないでしょうか。

 

さて、現在の英語版の聖書ですが、その十戒の表現は、do notとなって、禁止を表しています

現在の日本語訳と同じように禁止であり、外的な要素が入って表現が変化したのでしょう。

 

真実をねじ曲げられた聖書の言葉の力

このように真実をねじ曲げられた聖書の言葉の前に踊らされている人々がいます。

人のものを盗んでも罰せられずのほほんと暮らしているではないかとか、人から搾取している人も騙せたことを自慢しているではないかと。

 

ですが、十戒において神様は何も命令していませんでした。

日本語訳で命令しているように書かれているだけで昔は命令していなかったのです。

 

十戒ももともとの言葉は、10の言葉。

神様からの10個の言葉であり、戒めでも命令でもありませんでした。

 

ですが、製本され、聖書として立派な様相を整えていくうちに、10の言葉が十の戒めに変わったのではないでしょうか。

その方が、もっともらしく、権威的で重厚な感じがしますから

 

この取り違えられた十戒の意味を全てのキリスト教徒にあげ、キリスト教を信じているなら、殺すことはないはずだとか、戦争で他の国から略奪することはないだろうといってキリスト教という宗教を非難する人がいます。

もともと取り違えられた意味で非難されることもないですし、争うことすら無意味な論議ですが、正義を盾にして相手をやっつけることに快感を覚えている人々ですから、仕方がない事なのかもしれません。

 

仏教など他の宗教で争う人はいないとは言いますが、戦国時代、宗教勢力も武力を強め、法華宗による山科本願寺の焼き討ちや天台宗による天文法華の乱など宗教戦争も起こっています。

加賀で起こった一向一揆など、大名を滅ぼして自分たちの国を建てたのを忘れているのでしょうか。

 

日本を戦争に導いた神道もそうでしょう。

キリスト教が戦争をしているのではなく、宗教の意味を取り違えた人々、または、宗教を利用した人々が争いのネタに使っているのです。

 

そもそも、宗教を扱っているのは人間。

人間である以上、勝手な解釈もあり、勝手な判断もあります。これは宗教が悪いのではなく、自分を守りその自分の考えを守るため自分の意見に属さないものを排除しようという心理が働いているのでしょう。

(関連記事:キリスト教プロテスタントの葬儀の式次第は讃美歌や聖句で故人を偲ぶ方法

 

仏教真言宗の十善戒

仏教、真言宗の教えにも十善戒というものがあります。

高野山真言宗宗教学部が発行している仏前勤行次第の中に収録されているもので次のようなものです。

 

十善戒

  • 身業
    • 不殺生(ふせっしょう) 故意に生き物を殺さない。
    • 不偸盗(ふちゅうとう) 与えられていないものを自分のものとしない。
    • 不邪淫(ふじゃいん) 不倫など道徳に外れた関係を持たない。
  • 口業
    • 不妄語(ふもうご) 嘘をつかない。
    • 不綺語(ふきご) 中身の無い言葉を話さない。
    • 不悪口(ふあっく) 乱暴な言葉を使わない。
    • 不両舌(ふりょうぜつ) 他人を仲違いさせるようなことを言わない。
  • 意業
    • 不慳貪(ふけんどん) 激しい欲をいだかない。
    • 不瞋恚(ふしんに) 激しい怒りをいだかない。
    • 不邪見(ふじゃけん) (因果の道理を無視した)誤った見解を持たない。

参考:Wikipedia

 

この十善戒は語りはじめで「この身今生より未来際を尽くすまで十善のみ教えを守り奉らん」という冒頭があります。

この考え方は、十善戒というものは強制されるものではなく、自らを戒め守ろうとするものであると見ることができるのではないでしょうか。

 

この内容にしろ、考え方にしろ、十戒のもともとの教えと同じスタンスであるような気がしませんか。

ユングの言う集合的無意識の中の意識だといえるかもしれません。

(関連記事:なぜユングやフロイトが提唱した無意識がヒプノセラピーに重要なのか

 

あなたの思考を支配する言葉の力

このように、同じものでも書き方ひとつであなたの受け取り方は大きく変わってきます

命令文か、shallか。~してはならない、か、きっと~すると思うよ、なのか。

 

日常の生活でも、言葉の使い方ひとつで相手に与える印象は大きく異なってきます。

そこの窓閉めてよ!と命令されるよりも、そこの窓閉めるよね。って言われた方が反発することなく閉めようかなって思いませんか?

 

アダムとイブがエデンから追放されたような記述もこれと同じ。

英語版ではso the Load God sent him out of the garden of Eden to be a worker on the earth from which he was takenとあります。

kick outやexpel、drive outなどの追い出すという表現ではないのです。

 

それも、その前の節創世記3章21節で「主なる神は人とその妻とのために革の着物を作って彼らに着せられた」とあります。

善悪を知ることになって、アダムとイブはエデンからの追放されたのではなく、エデンから送り出されたのです。

 

このように、神の愛が計り知れないほどの広いものというとらえ方ができますが、ユダヤ教のように戒律に縛られた考え方、カトリックのように儀式を多用する考え方など、聖書にも、色々な解釈があるのは事実のこと。

このことは、あなたの住む世界でもいえること。

 

一面だけを見ていてはその真実は決してつかむことができません。

見る角度が多いほど、その真実の姿を明らかにすることができるのです。

 

まとめ

以上、「モーセの十戒の意味とは。真実をねじ曲げられた聖書の言葉の力」をお伝えしました。

聖書の言葉はいろいろなことを教えてくれます。

 

ですが、聖書も人が介在して書かれたものであり、それがすべてではありません。

原典を手に入れることが難しいから、あらゆる角度から見ていかなければ真実は見えてこない、そのことを十戒は教えているのではないでしょうか。

 

さいころの表の1面だけ見ていては、決してその全貌、全容を理解することは不可能。

さいころの6面のすべての面を見てそれぞれの関係を理解して、さいころの本当の姿がわかるのではないでしょうか。

(関連記事:言葉の力とは。自分に暗示をかける意味は、暗示の効果にあった。

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