こんにちは。
神戸ヒプノセラピー、催眠療法ベレッツアです。
「霊が憑依する」
心霊スポットに行った後、人格が変わったように全く別の人の精神が入り込んだような状態になる人がいます。
スピリチュアル的には霊が憑依したとか、取りつかれたというような人格の変容ですが、人格が変わってしまうという観点から精神医学的にみると、解離性同一性障害と同じ状況ではないでしょうか。
多重人格や二重人格といったように性格が変わってしまう解離性同一障害と霊の憑依。その違いとはどこにあるのでしょうか。
霊が憑依すること
霊に憑依されて人格が変わってしまう。
そんな話を聞いたことはありませんか?
実際にあなたが見たことはなくても、その現象は一般的にしばしば語られていること。
霊が憑依することとはどういうことなのでしょうか。
霊とは何か
霊に憑依されることについて話をするのであれば、霊とは何かをお話しすることが必要かもしれません。
霊とは、spiritualに代表されるもので、WHOの会議で霊的に健康であることが健康の定義に含むべきかどうか真面目に検討されたもの。
この霊とは、意識、思念、思考や想いです。
英語でファイティングスピリットやフロンティアスピリットという言葉があるように、ある物事に対する方向性のある意識のこと。
ただ思うことだけなら、動物や植物でもできます。
たとえば、ペットを飼ったことがあれば動物にも思いがあることがわかりますし、植物にクラシックを聴かせると実りが豊かになるということを聞いたことはありませんか?
動物や植物の霊と人間の霊との違いは、そこに文化があること、つまり、芸術観や学問観、信仰観があるということ。
人間が万物の長、霊長類のトップに立っていられるのはこのためであり、芸術観も学問観も信仰観もない人間は人間の皮をかぶった獣と言えるでしょう。
霊は死んだらそれで終わりなのか
死んだらそれで人生終わり、という考え方もあるかもしれません。
ですが、本当に死んだら霊はなくなりそれで終わりなのでしょうか。
肉体は死んだ後に土葬されても火葬されても、元素レベル、分子レベルでこの世に存在し続けることになります。
それでは、あなたの意識である霊はどうなのでしょうか。
我思う故に我あり、コギトエルゴスムという有名な言葉がありますが、あなたに意識がある以上意識の存在は疑いのある事実。
その存在するものが無くなるということは物理学上ありえないことではないでしょうか。
身体が形を変えても存在し続けるように、意識や想い、思念で出来ている霊も存在し続けると考えたほうが、自然の摂理に合致していると思いませんか?
死んだ後の霊が地上界に残るのか、天界に行くのか、それは、人生が思ったようにならないのと同じであなたの望むところに進めるかどうかはあなた次第と言えるのではないでしょうか。
霊が憑依すること
さて、霊が憑依する状態とは、3段階に分けることができます。
その3段階とは、
- 霊にしつこく付きまとわれて影響を受けている状態
- 霊に幻惑されてその言葉を信じ込み善悪の判断がつかない状態
- 意志が無くなり思考を乗っ取られて肉体も支配される
軽い状態のうちに霊の憑依を取り払うのは簡単ですが、最終段階までくると、なかなか元に戻すことは難しくなります。
ちょうど、身体がメタボになっている状態と、高脂血症がすすみ動脈硬化が起こって透析まで行くと元の健康な身体に戻れないほど不健康になってしまうのと同じ。
霊が憑依した状態の最終段階になると、自由意志も霊に縛られてしまい、肉体すらも操られてしまうようになる。
そしてその状態はまるで、別の人が乗り移ったかのような二重人格、多重人格と同じような状況になっていくでしょう。
(関連記事:霊が憑依するとは!憑依される意味と心理テストで守護霊がわかる理由)
解離性同一性障害の多重人格や二重人格
解離性同一性障害とは、精神医学で使われる言葉。
アメリカ精神医学会のDSM-5で規定される解離性障害の一つで複数の人格が一人の肉体の中に存在する状態です。
多くの場合、心の中に一つの議会のようなものを持ち、その中で優位な人格が肉体を支配していきます。
24人のビリーミリガンという話がそのよい例でしょう。
そもそも、解離性障害とは、記憶や意識、人格の連続性が途絶えて記憶や意識の欠損が生まれ、人格が後退するなどの症状が現れます。
なぜ、この解離性障害が起こるのかというと、現実世界からの防衛反応が起こっているから。自分を守るために、極度に不快な体験を無意識的に意識から切り離すのです。
つらい思い出は忘れてしまえばいいのだし、いつまでも覚えているから悩み続けないといけない。
人間はそんなに意識のリソース、色々と考える能力は多くないから、不要なことは潜在意識に入れてしまい、顕在意識の領域から排除して忘れようとします。
このように、心の防衛反応として起こるのが、解離性障害と言われますが、この状態って、健康な人でも起こることであり、これを心の病気としてとらえることで更なる「現実世界からの逃避」を生み出しているといえるでしょう。
この現実忘れるということの理由付けを忘れるのではなく、他の人がやったこととして片付けてしまおうとするのが、解離性同一性障害。
自分の出来事だから関係ない、別の人が起こしたこと、経験したことなのだとすることで、その事実から自分の心を防衛することができるのです。
最初は、もう一人の人格を作る二重人格から始まりますが、その二人目の人格でも防衛しきれない時、3人目の人格を作ります。
二重人格になった時に、病気だからしょうがないとか、2人目の人格で生活に支障がなく周りから二人目の人格を承認されるとき、二重人格がさらに深まっていくことになり、次第にどちらが本当の自分なのかわからなくなっていくこともあります。
そもそも作り出した自分、演じている自分でも自分であることには変わりないのだから、当たり前と言えば当たり前のことなのですが。
二重人格が生まれることは、防衛反応以外にもあります。
それは、役者がその役を熱演して、その役から抜け出せなくなり、その役を自分の人生だと思ってしまうようなときです。
映画や舞台などを演じている役者が役にハマりすぎると、本当の自分、今までの自分を忘れて、その役に自分を当てはめたまま抜けられなくなるのです。
役にハマることは、役者としてうまく演じるためのポイントであり、熱演するために必要なこと。上手い役者の職業病ともいえるかもしれません。
このようにして、上手な役者とは、職業上行うことと、日常からの防衛反応というきっかけは異なるけれど原理は同じような意識状態の変容で別の人格が生まれるということ。
そうして、解離性障害、また、解離性同一性障害が起こっていき二つ目、三つ目の人格が生まれ、二重人格になってしまったり、多重人格になってしまったりするのです。
(関連記事:潜在意識の書き換えでおきる好転反応!嫌なことが起こる理由とは)
霊の憑依と解離性同一障害との違いとは
霊の憑依と解離性同一性障害は違うのでしょうか。
答えから言ってしまうと、そこに根本的な違いはありません。
霊とは思念体であり、意識です。
その意識が霊というイメージを受け入れそのイメージを自分のものとして取り込むことによって生まれるのが霊の憑依。
たとえば心霊スポットに行って霊に憑依されることがありますが、その場所が心霊スポットだと知らなければ、その霊に憑依されることはありません。
たまに、調子が悪くなった時に調べてみると実は心霊スポットだったということもありますが、それは後付けの理由であり、そう思い込むことで「調子が悪い」=「心霊スポットの霊の影響」というイメージが固定化されるから。
あなたの中で、その霊を承認しなければ、憑依されることはありません。
逆に自分の思考レベルをその霊に合わせ、その霊を承認するからその霊の思念、想いを受け入れて憑依されてしまうのです。
解離性同一性障害も同じ。
別の人格を本人が認めて承認し、周りの人々も病気だ二重人格だと承認するからその二つ目、三つ目の人格が成立し、その人の中に存在を許されることになる。
だから、霊の憑依も解離性同一性障害、二重人格や多重人格も根本的には同じこと。
霊であったり、別の人格であったりを承認し、受け入れることで思考を乗っ取られ、肉体を乗っ取られてしまう、つまり、あなた自身がそうなることを受け入れてしまうのです。
(関連記事:守護霊様、助けて!スピリチュアルなサインやメッセージの受け取り方)
まとめ
以上、「霊が憑依する!解離性同一性障害の多重人格や二重人格との違いとは」をお伝えしました。
霊の憑依と精神医学の解離性同一障害とは根本的に同じこと。
そのきっかけ、スタート地点は異なるかもしれませんが、霊とか別の人格に意識レベルを合わせてそれを受け入れることで相手を取り込み、取り込まれてしまう。
もし、霊に憑依されたくない、別の人格に意識や身体を奪われたくないと思うなら、軽い症状のうちに手当をすることで防ぐことができるのではないでしょうか。
(関連記事:潜在意識に働きかける効果とは!潜在意識を書き換えて簡単に新しい自分になる)
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